もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

2019-11-26から1日間の記事一覧

鶴岡公園(鶴岡城)

【2010年4月21日】 「おまえでも、我が子がかわいいのか?」 出羽鶴岡17万石、庄内藩祖・酒井忠次はいえやっサンからこう言われた。 この言葉はいえやっサンが長男・信康を失った悔しさを忠次にぶつけたものだ。八つ当たりでは無い。 徳川信康には…

鶴ヶ城公園(会津若松城)

【2010年4月23日】 山本八重という女性がいた。 男勝りの会津女子で、白虎隊士の伊藤悌次郎にゲベール銃の使い方を教えた。 伊藤がおっかなびっくり銃を操作していると 「そんなことじゃ人を撃てないわよ!」 と大声でダメ出しした。 とんでもないお…

唐津城

【2010年4月23日】 肥前唐津藩主・水野忠邦。 彼は19歳で家を継いだときから 「早く老中職(国務大臣)に就きたい」 と、そればっかし考えていた。 が、忠邦は唐津藩主だ。 老中職には就けない。 唐津藩主は福岡藩や佐賀藩同様、「海防警備」という…

熊本城

【2010年4月27日】 細川家にお預けになった赤穂浪人に奥田孫太夫重盛がいる。 孫太夫はもともと志摩鳥羽藩主・内藤忠勝の家臣だった。 忠勝の姉が播磨赤穂藩主・浅野長友(長矩の父)に嫁ぐ際に付け人として鳥羽から赤穂に行った。 が、赤穂にいると…

弘前公園(弘前城)

【2010年4月30日】 天明3年。 この年、弘前藩は大飢饉に見舞われる。 天明の飢饉だ。 死者8万人。 餓死者の他、病死者も多数出た。 何故飢饉が起こるのか? 飢饉が起こるかどうかは、その前の年の作物の出来具合と蓄えで決まる。 前の年に豊作なら…

岡山城

【2010年5月7日】 二人のお福。 一人は備前岡山城主・宇喜多秀家の母・お福。 もう一人は備前岡山城主・小早川秀秋の家老・稲葉正成の妻・お福。 宇喜多秀家の母・お福は美人であったといわれる。 宇喜多家は秀家の父・直家のときに備前・美作を斬り取…

高知城

【2010年5月10日】 岡田以蔵。 あだ名を「人斬り以蔵」という。 土佐勤王党と武市半平太のために「人斬り」を繰り返した。 岡田以蔵が関与したとされる殺害事件は9件。 単純計算で9人も殺害しているのだから、「人斬り」というあだ名が付いても仕方…

大濠公園(福岡城)

【2010年5月12日】 明石元二郎。 「明石大佐」と呼んだほうがいいかも知れないこの男は、福岡藩士・明石助九郎の次男として生まれた。 明石助九郎は2,000石の藩士だったが、若くして自害している。「勤王か?佐幕か?」のゴタゴタに巻き込まれた…

西山公園(鯖江城)

【2010年5月13日】 鯖江藩。 ここは5万石の譜代大名の藩だった。 藩主は、間部家だ。 藩祖は間部詮房という人で、甲府藩主・徳川綱豊の側用人だった。徳川綱豊はのちの家宣将軍だ。 家宣将軍・家継将軍の二代にわたって側用人を務めた。 譜代大名は…

金沢城

【2010年5月21日】 前田利常。 松平加賀守だとか加賀宰相様だとか呼ばれるお殿様で、加賀金沢120万石の大大名だ。 のちに越中富山に10万石、加賀大聖寺に7万石を分知したので、金沢藩は103万石となった。 前田家は由比正雪が騒動を起こすま…

鶴岡公園(鶴岡城)

【2010年5月21日】 庄内丸岡地区に「鯉もち」という料理がある。 鯉の身をほぐし、餅・しいたけ・ごぼう・ねぎを入れてしょうゆで味付けする汁物だ。 山形には有名な「芋煮」がある。山形の人はしょうゆ味が好きなんだなあ。 山形の人に限らず、日本…

鶴ヶ城公園(会津若松城)

【2010年5月25日】 会津中将松平容保。 新撰組や白虎隊の上司として知られているので「武断派」のイメージが強いが、政治家としての一面もある人物だ。 安政5年、「反井伊」の水戸藩は朝廷から攘夷の勅命を受ける。 秘密の勅命であったことから 戊午…

大阪城公園(大坂城)

【2010年5月31日】 あるとき、豊臣秀吉はいえやっサンとの雑談の中で 「内府どのなら、この大坂城をどうやって落とす?」 と質問したことがある。 いえやっサンは「内部分裂を誘発して、内通者の力を借りて落とします」と、本音ではそう思っていたが…

松本城

【2010年6月1日】 寛文7年5月22日、松本藩水野家に一人の男がお預けとなった。 名をば、水野元知という。 上野安中2万石の大名だったのだが「発狂乱心」としてお取り潰しになった。 「発狂乱心」だと断定された行為は、妻を江戸屋敷で斬って重傷…

岡山城

【2010年6月2日】 「この子が男の子だったら、関白にしてやったものを…」 豊臣秀吉は隣に座っている妻・寧々に向かってこう言った。 秀吉夫婦の正面には可愛らしい少女が座っている。 この少女、名をば豪姫という。もともと前田利家の四女なのだが、子…

和歌山城

【2010年9月6日】 徳川重倫。 紀州藩の8代目の藩主だ。 20歳で紀州藩主となり、就任早々財政再建に取り組んだ。 しかし財政再建が順調に進まないことから、重倫は何を血迷ったか財政責任者2名を自らの手で斬殺した。 2人を殺害したからといって財…

名古屋城

【2010年6月10日】 一橋徳川家当主・徳川治済が将軍家と尾張徳川家の両方の乗っ取りを企てていた。 と、言ったら、いったいどれだけの人が信じるだろうか? 安永2年6月14日、尾張藩主・徳川宗睦の嫡男・治休が21歳で病没した。このため、治休の…

江戸城

【2010年6月18日☆】 「大炊頭、御城再建費用を調達いたせ」 弘化元年5月10日、江戸城本丸が火災で焼失すると、家慶将軍は首席老中(総理大臣)・土井利位に本丸再建費用の調達を命じた。 調達というのは、大名にカネを出させるということだ。 幕府…

和歌山城

【2010年6月18日】 日清戦争の「2枚のカミソリ」。 一人は外務大臣・陸奥宗光。 もう一人は陸軍参謀次長・川上操六。 陸奥宗光。 紀州藩勘定奉行の子に生まれる。 初め伊達小二郎と名乗った。 のちに陸奥陽之助と名を改め、明治維新を迎えた。 陸奥…

唐津城

【2010年6月23日】 寺沢志摩守広高。 父・寺沢広政の代から豊臣秀吉に仕えた。 秀吉から信用されていて、文禄の役では肥前名護屋城代として兵士や物資の輸送・補給等を担当した。 その功績で、肥前唐津8万石を与えられた。 もともと唐津は波多 親と…

大阪城公園(大坂城)

【2010年6月24日】 「古今にこれなき大手柄」 細川忠興は大坂夏の陣での真田幸村の活躍について、こう書き残している。 真田幸村。 父・昌幸とともに紀州の九度山に配流され、ただ死ぬのを待つ身であった。 そこに、豊臣家の密使が来る。「大坂城に入…

岡山城

【2010年6月28日】 慶長13年、ある1組の母子が再会を果たした。 母親は中川糸子。 子供は池田利隆。 この母子は理由があってずっと離ればなれで暮らしていた。 中川糸子は織田家の軍事将校・中川清秀の娘で、同じく織田家の軍事将校・池田恒興(信…

姫路城

【2010年6月29日】 松の廊下事件のあと、赤穂藩に決起の意思があったか? あったのではないかと見られていたことが、一つの史料から伺える。 姫路市教育委員会の所蔵に『姫路城防備布陣図』というものがある。 これは、姫路城が攻撃された場合を想定…

大阪城公園(大坂城)

【2010年7月7日】 越前宰相松平忠直。 大坂夏の陣で「死ね死ね!」と大声で喚き散らしながら先頭切って豊臣軍に突撃した多血質の青年である。 真田幸村を討ち取ったのもこの青年の部隊だ。 いえやっサンはこの青年の突撃に 「どこの世の中に、大将自ら…

松山城

【2010年7月8日】 松平定国。 伊予松山15万石の大大名だ。 幼名を辰丸という。 弟に賢丸がいる。 賢丸はのちの将軍補佐職兼首席老中・松平定信だ。 辰丸は田安徳川家に生まれた。 父親は家重将軍と九代将軍の座を争った徳川宗武だ。 田安家にはすで…

鶴ヶ城公園(会津若松城)

【2010年7月29日】 肥前島原藩主・松倉勝家には弟が二人いた。 上の弟を重利、下の弟を三弥といった。 このうち、重利のほうが会津若松に身柄を移され、そしてそこで死んだ。 松倉勝家は肥前島原4万石の藩主だった。 松倉勝家の父・重政が大和五条1…

仙台城

【2010年8月6日☆】 伊達政宗が大坂の陣の前、最後の大勝負をした。 それは、いえやっサンの六男・松平忠輝を擁立して秀忠将軍から天下を簒奪しようとしたことだ。 越後高田藩主松平忠輝は政宗の長女・五郎八姫の婿だった。 自分の婿をまず将軍職に就け…

小浜城

【2010年8月26日】 酒井讃岐守忠勝。 若狭小浜12万石の藩主で、長いこと老中職・大老職を務めた。 文治派として知られ、幕府を軍事力による支配から法による支配に転換させた。 忠勝が大老職だった当時、上司には将軍補佐職・保科正之がいて、部下…

彦根城

【2010年8月26日】 彦根藩は鳥羽・伏見の戦いの直前、全藩士を集めて世論調査を行なった。 彦根藩は10万石減知されたとはいえ25万石の大藩だ。藩士も1万人以上いる。 この1万人以上の人たちに、藩は あなたは幕府軍に付くべきだと思いますか? …

名古屋城

【2010年8月27日】 尾張藩主・徳川茂徳が生麦事件の賠償交渉を命ぜられたのは文久3年3月のことだった。 江戸城でイギリスからの抗議文に眼を通した茂徳は 「これはいかん、戦争になる」 と早とちりし、市ヶ谷の尾張藩邸の人間に 「明日の朝、全員名…