【2008年11月19日】
弘前藩二代藩主・津軽信枚の妻になった二人の女性、辰姫と満天姫(まてひめ)について書く。
満天姫は松平康元の娘で、初婚の相手は福島正則の養子・正之だった。
松平康元という人は、いえやっサンの異父弟だ。
福島正之は養父・正則から発狂乱心したとして幽閉されそのまま死んだ。
この幸薄い姪にいえやっサンは再婚相手をあてがった。
それが信枚だった。
信枚には辰姫というラブラブの妻がいたにも関わらず、満天姫を押し付けられた。
どんなに「イヤだね。御免被るわ」と言いたかったことだろう。
しかし「イヤだ」と言えない事情・理由が辰姫の中にあった。辰姫は石田三成の三女だったのだ。
今ここで満天姫との縁組を断ると「津軽のヤツは、謀反でも企んでいるのか」という眼で見られてしまう。
それで泣く泣く辰姫を弘前から大舘に移し、満天姫を正室として受け入れた。
この子連れの幸薄いお姫様を、信枚は義務的に正室として扱った。
義務的に、淡々と夫婦生活をした。いや、演じたと言ったほうが正確かな。
信枚の気持ちはいつも大舘にいる辰姫に向いていた。
この、義務的に、淡々とした夫婦生活の中で子供が生まれた。
武士であれ公家であれ、支配階級者にとって生殖行為は義務であり、その義務の結果ひとりの男の子が生まれたに過ぎない。好きでも無ければ愛してもいないオンナが生んだ赤ちゃんを見て、信枚はそう思った。
満天姫は「この子には、せめてたくさんの吉がありますように」と願い
万吉
と名付けた。
信枚は死に際し、辰姫の子・平蔵を後継指名して死んだ。
これは「跡継ぎは自分がこの世で一番愛した人の子を」という信枚の強い意思からだった。
万吉はのちに名を信英と改めて、旗本になった。
弘前藩の分家・黒石藩は信英の子孫が作った藩だ。
満天姫には前夫との間に岩見という男の子がいた。
この子は弘前に着いたとき、弘前藩家老・大道寺直英の養子となり大道寺直秀と名乗った。
直秀は子供の頃から「オレは福島の家の子」と意識して生きて来た。
福島正則がお取り潰しとなり、川中島で正則が死んだと聴くと直秀は
「オレこそが福島家の名跡を継ぐんだ」
と言い出し、江戸に行く準備を始めた。
周りが止めても言うことを聴かない。
ついに満天姫は「弘前藩のため」と直秀を毒殺した。
最後まで、幸薄いお姫様だった。