もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

姫路城

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【2008年11月13日】

河合隼之助。

化政期(文化・文政期)の姫路藩の家老だ。

「天下の三助」

という言葉がある。

これは二本松藩の丹羽久米之助、沼津藩の土方縫殿助、そして隼之助の三人を指す。

この三人は名家宰として知られた。

隼之助の頃の姫路藩は73万両(365億円)の借金があった。

隼之助はまず、「お約束」の倹約令からスタートする。

が、こんな多額な借金、倹約令なんかじゃどうにもならない。

隼之助は財政建て直しに早くから姫路木綿の売買でやろうと決めていた。ただ、どうすれば財政建て直しに結びつくくらいの利益を挙げられるのか?隼之助はそこで悩んだ。

当時、姫路木綿は大坂に出荷されて売られていたが、大坂の商人は姫路木綿を安く買い叩いたため利益が薄かった。そのため、隼之助は悩んだ。

悩んで悩んで悩み抜いたある日、隼之助は思いついた

「そうだ、姫路木綿を江戸で売ろう」

と。

ただし、江戸に商品を直送して販売する場合、幕府の許可が必要だ。

ここで隼之助は奇策を思いつく。

「家斉将軍の娘を、我が藩に嫁にもらう」

というもので、姫路藩の家臣たちはみんな反対した。

理由は、将軍の娘を嫁にもらうと施設建設等で莫大な費用がかかるためだ。

反対する者たちの前で隼之助は

「結婚はそのとき限りだが、商売はずっと続く。長い眼で見た損得勘定をやろうじゃないか」

と言って納得させた。

隼之助は早速首席老中・水野忠成に「上様の御息女のうちお一人を、藩主忠道の三男・忠学の嫁に下さいませぬか」と頼んだ。

水野は大喜びで隼之助の申し出を受け入れ、婚儀がまとまった。

家斉将軍には55人の子供がいた。そのうち半分以上が女の子だったため、幕府でもその処遇が悩みの種になっていた。

姫路木綿の江戸での販売許可は姫路藩への「引出物」として与えられた。

販売許可が出ると、隼之助は早速準備に取りかかり、江戸での姫路木綿の販売を始めた。

江戸で姫路木綿は「玉川晒」だとか「姫玉」だとか呼ばれて大好評となり、その需要は東北地方まで広がった。

そして姫路木綿販売許可から20年、ついに姫路藩は73万両の借金を全額返済した。踏み倒さずに返済したのだ。

隼之助は絶望から思いついた非常識で藩財政を建て直した。

姫路木綿という商品を生かした財政再建だった。