【2008年7月15日】
加藤明成。
しかし彼はバカ殿だった。
矯正の仕様が無いくらいひどかった。
会津若松の人たちから見て、たった一つだけ評価出来るとすれば、それは会津若松城の五層の天守閣を造営したくらいだ。
あとはもう、バカ殿のお手本のような藩主だった。
「私欲日々に長じ、家人の知行、民の年貢にも利息を掛けて取り、商人職人にも非道の運上を割付け取りける故、家士の口論、商工の公事喧嘩止むことなし」
(『古今武家盛衰記』)
年貢に利息をかける。
つまりは、その年未納になった年貢に利息を付けて膨らませて次の年に納めさせる。
ひどい話だ。
非道の運上。
運上とは税金のことだ。
非道な税率だったので、まっとうな商人はみな苦しんだ。
こうして下々から搾り取って吸い上げた年貢・運上はすべて一歩金に化けた。
一歩金とは小さな金貨のことで、明成は官名が「式部少輔」だったことから「式部」と「一歩」の発音が似ているというので一歩金を「気に入った」として収集した。
「明成財を貪り民を虐げ、好んで一歩金を玩弄す。人呼んで一歩殿という。歴年、貪欲横暴、農商と利を争い、四民困蹙し、訟獄熄まず、群臣あるいは諫むるも聴かず」
「財を貪り民を虐げ」と言われてしまう時点でバカ殿の烙印押しをされても仕方が無い。
「一歩殿」(いちぶどの)なんてあだ名が付くくらい一歩金の収集に狂っていたのだから、困り者のバカ殿だった。
このバカ殿を取り潰したのが土井利勝だった。
明成は先代からの家老・堀 主水との仲が拗れ、主水が会津を退去し高野山に逃れるという事件が発生した。
明成は主水が退去する際、会津若松城に向けて発砲したことや領内の橋を焼き払ったことが許せず、「あの首をもいでやる」と喚いた。
明成は幕府に
「会津42万石と引き換えに、主水の身柄を貰い受けたい」
と頼んだ。
利勝は主水を明成に引き渡すと、明成は主水に折檻を加えたうえで殺害した。
利勝は明成に
「約束通り堀 主水の身柄を引き渡したのだ。今度は式部少輔どのが約束を果たす番でござろう」
と言った。
「42万石を返上しろ」と迫ったのだ。
こうしてバカ殿明成は42万石を棒に振った。
ただ、利勝は明成の子明友に1万石を与え大名として存続させている。