【2008年6月24日】
二日酔いの
無念極まる
僕のため
もっと電車よ
真面目に走れ
まあ、誰にでもあるでしょ。
ついつい飲み過ぎちゃって、二日酔い。
でも「会社行かなきゃ」って会社に行く。
頭が痛かろうが、モノが二重に見えようが、ゲーゲー吐こうが、それが勤め人ならば何の問題も無い。
が、7万石の大名ともなると、そうはいかない。
水野忠恒は予定外のことで松本藩主になった。
兄・忠幹が嗣子を残さずに死んだのだ。
まさか自分が家を継ぐなんて思ってもいないから、忠恒は酒にオンナに鉄砲乱射等、乱行ばかり続けていた。
で、跡を継ぐということになり、カミサンを貰うことになった。
美濃大垣10万石藩主・戸田氏長の養女だ。
そしてそのめでたい宴というか、どんちゃん騒ぎが何日も続いた。休肝日なんて一切ナシ。
「飲んで飲んで飲みまくれーっ」と、忠恒は戸田家の人間と飲みまくった。
そして忠恒と松本藩水野家を破滅させる日・享保10年7月28日の朝が訪れた。
「オエーッ」
朝っぱらからエヅく忠恒。
足がフラつく。
頭痛がして、胃に不快感がある。
ちょっと嘔吐しそうな感じ。
典型的な二日酔いの症状だ。
この日忠恒は江戸城に登城しなければならない日だった。
家臣は忠恒を止めた。
「殿、そのお身体では無理でございまする。御老中方には『加減よろしからず、後日改めて登城いたしまする』と言上いたしまするゆえ」と登城せずに寝ていてくれと言った。
が、忠恒は
「妻を娶ったからには立派な大名。なんのこれしき」
と家臣が止めるのを振り払い江戸城に登城した。
吉宗将軍に挨拶を済ませ、松の廊下である19歳の若者とすれ違ったとき、事件は起こった。
忠恒は何を思ったのか、この19歳の若者に突然斬りつけたのだ。
「水野隼人正様、殿中で刃傷!!」
城内は大騒ぎとなった。
被害者の若者は毛利師就。
長門府中藩主で5万石の若大名だ。
幕府の取り調べの中で忠恒は「自分は乱行があるから上様が松本藩を師就に与えてしまうのではないかと思った」と犯行動機を語った。
忠恒はウソをついた。
忠恒と毛利師就はこの日が初対面で、何の付き合いも無いからだ。
松本藩お取り潰しが決まったあと、忠恒は二日酔いの幻を見て刀を抜いたと家臣に白状した。
「加助だ…加助がそこにいたから抜刀したのだ」と。