【2008年5月30日】
鶴山と書いて「かくさん」と読む。
津山城のことだ。
森家は美作一国18万石を、松平家は美作国の内10万石を与えられた。
森家の四代目藩主・長成のときの将軍が綱吉将軍だった。
『犬公方』という言葉を聴いたことがある人がいるかも知れないが、これは綱吉将軍が度を越した愛犬家で「犬キチガイ」だったのでこう呼ばれた。
「江戸の中野村(現在の東京都中野区)に犬屋敷を建てるので、そちに普請(工事の総監督)を命ずる」
と言った。
長成は
「こいつ絶対アタマおかしいよ」
と思ったが、それを口に出してしまうと「城地没収・即日切腹」にされてしまうので「ありがたきしあわせ。森家末代までの名誉でございまする」などと心にも無い言葉を口にした。
長成が命ぜられた中野村の犬屋敷は面積約40万?、この中に犬小屋289棟、それに付属する餌会所・釜屋・搗屋・番所等が164棟が建設された。
津山藩が使った費用は33,570石(約16億円)。
津山藩は費用捻出のために全藩士の給料カット等の無理を重ねた。
この工事の最中から長成は精神を害し、工事が終わって間もなく体調を崩してそのまま死んだ。
長成には子供が無かったので、長成の叔父で家老の関 衆利(せきあつとし)を末期養子にすることとし、幕府もこれを許可した。
衆利は犬屋敷建設の現場責任者を務めていた。
衆利は末期養子に決まった段階で既に長成同様精神を害していた。
衆利は参勤交代で津山から江戸へ向かう道中、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)でついに発狂乱心してしまった。
「狂状持ちは改易」これは幕府のルールだった。桑名藩から「森 衆利が発狂乱心」という通報を受けた幕府は津山藩をお取り潰しにした。
が、森家は大御所家康・秀忠将軍の二代に功績のあった家なので、改めて播磨国赤穂(現在の兵庫県赤穂市)に2万石を与えて存続させた。
衆利は発狂乱心したまま8年後に死んだ。
犬屋敷普請でいったい何があったのか?
かさむ費用が津山藩全体を圧迫し、藩の運営に苦しんだ挙げ句に長成・衆利両人の精神を害してしまったのかも知れない。