【2008年5月13日】
「おまえたちの宝物は、何だ?」
という質問をした。
このとき、上杉家家老・直江兼続は
「それがしの宝物は兜の前立て(飾り)でございまする」
と答えている。
兼続の兜の前立ては『愛』の文字だった。
「愛がすべてさ!」
兼続は秀吉に向かってヌケヌケと言い放ったのだ。
「おまえ、言うねぇ~」と秀吉は笑った。
これに対して秀吉の顔からみるみる笑みを失わせる答えをしたのが徳川家康だ。
家康は
「私の宝物は家臣たちです」
と、静かに、穏やかに、それでいて迫力のある声音で答えた。
秀吉は「イヤなこと言うなあ、こいつ」と思った。
百姓あがりの秀吉には家康のように譜代の家臣というのがいない。
これが長久手の戦いで明暗を分けたことを秀吉は忘れちゃいなかった。
だからこそ、余計にイヤな気分になったのだ。
家康は武田信玄を手本とした。
最大の強敵である信玄を手本とした家康は
♪人は城
人は石垣
人は濠
情は味方
仇は敵♪
と「武田節」の考え方まで取り入れた。
その団結力こそが、長久手の戦いの勝利から関ヶ原・大坂の陣への流れを作った。
秀吉には、そんな家臣はいなかった。
福島正則は桶屋のセガレだし、小早川秀秋は女性の着替えを覗き見するおバカ青年だった。
秀吉に対して「宝物」と言い切るだけの良質な家臣がたくさんいた家康。
それに対して秀吉の家臣には「?」マークが付く家臣が多くいた。
いつの時代でも、「人が宝」なんだよ。
「人材は人財」
現代の経営者がそういう考え方になれれば、日雇い派遣の問題も解決すると思うんだけどな。