【2008年4月9日】
細川重賢はもとは部屋住みで、家督相続する立場では無かった。
だから重賢はいつも植物の本ばかり読んでいた。
権力とは無縁のところで生活していた。
これが、兄であり藩主である宗孝の死によって一変する。
人違いで殺害されたとも、汚水処理についてのトラブルがもとで殺害されたとも言われる。
宗孝には子供が無かったので、重賢が熊本54万石を相続した。
重賢が熊本藩を相続したとき、藩には40万両(200億円)の借金があり、藩財政はめちゃめちゃだった。
これを建て直したのが『宝暦の改革』だ。
重賢が在職中つくったのが再春館だ。
そう、ドモホルンリンクルの再春館は重賢がつくった。
これは重賢が部屋住みの頃の植物好きを具現化したものだ。
藩祖・藤孝(幽斎)以来の『文化人DNA』がこういうところに出ているのかなと思った。