【2008年3月4日】
仕掛けていない。
徳川幕府の権力争いは将軍の代替わりに必ず起こった。
本多正純もまた、この権力争いの中に巻き込まれた一人だ。
正純は大御所家康の側にいて、『駿府の御執政』などと呼ばれて大御所家康の生前は権勢を振るった。
大御所家康の生前は、江戸と駿府に2つ政府があった。
大御所家康が死ぬと、正純は秀忠将軍と土井利勝たち江戸の政府の連中と上手くいかなくなった。
もともと、江戸の秀忠将軍は駿府の政府を良く思ってはいなかった。
これじゃ秀忠将軍も面白くないわけだ。
土井利勝もまた、大御所家康死後に江戸老中として権勢を振るう正純を快く思ってはいなかった。
「取り潰してやる」 利勝はそう思った。
利勝は正純を油断させるため、秀忠将軍を通して下野宇都宮15万石を与えた。10万石も加増したのだ。
そうしておいて、少し間を置いた。
正純が油断してボロを出すのを待つためだ。
正純は宇都宮城を改修した。
秀忠将軍の日光参詣の宿所にしてもらうためとも、建物そのものが古くなったためとも言われる。
正純は改修をきちんと幕府に届け出ていたので、福島正則を取り潰したときのような強引なやり方を利勝はとれなかった。
そこで利勝は正純が文句の言えない状況にしたうえで宇都宮城改修を罪に問うことにした。
最上義俊を改易することにした利勝は、秀忠将軍を通して正純に改易申し渡しの使者を命じた。
山形に到着した正純は、そこで最上義俊ともどもお取り潰しとなった。
「何故だ!」
正純はこう叫んだ。
叫んだ正純に対して幕府の使者は11ヶ条の罪名及び罰条を読み上げた。
その中に、宇都宮城改修のことが含まれていた。
「釣り天井を仕掛けたであろう?」
もちろん、利勝のでっち上げだ。
『悪魔の知恵』である。
正純自身、大御所家康の生前に『悪魔の知恵』でたくさんの大名を取り潰した。
その『悪魔の知恵』が正純自身に振りかざされたのだ。
正純は罪人として出羽国由利というところで生涯を終えた。