もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

熊本城

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【2009年10月2日】

熊本藩の藩校・時習館では水泳を教えていた。

細川家中興の祖・藤孝(幽斎)が世渡りの遊泳上手だったことを思ったとき、熊本藩で水泳の遊泳上手を育てるというのは面白いことだと思った。

水泳を教える教官を遊泳師役という。

遊泳師役の定員は1名。

時習館は剣術師役もいたが剣術師役は複数定員だ。

何故遊泳師役は定員1名なのか?

それは遊泳師役になることは大変な名誉だからだ。

熊本藩は立藩当初から水練(水泳)が盛んだった。これは、藩祖・忠利の父・忠興(三斎)が水泳が得意だったことによる。

熊本藩では時習館設立以前から水泳教育に力を注いでいた。

水泳が苦手な者は

「おなごのキャ腐れ」

と言われて露骨な侮辱を受けた。

「おなごのキャ腐れ」とは標準語に訳すと「オンナの腐ったようなヤツ」という意味だ。

熊本藩はカナヅチに対しては厳しい藩だった。

もし、川で溺れ死んだりしようものなら、その者の家は断絶となった。このへん、佐賀藩が藩の試験に落第した者の家禄を8割没収するのと似ている。佐賀藩は藩を挙げて「勉強、勉強」と言い立てたが、熊本藩は「泳げ、泳げ」と言い立てた。

時習館では小堀流踏水術という泳ぎ方を教えた。

踏水術の稽古場に使われたのが熊本城下に流れる白川で、稽古が行われる5月1日~8月30日までの間は白川を通る者は編み笠を脱いで歩かねばならない習慣があった。もし、編み笠を被ったまま歩こうものなら

「無礼者!」

と一喝されて白川に投げ込まれた。「斬り捨て御免」ならぬ「投げ捨て御免」である。

天保2年から遊泳師役を務めた小堀清左衛門の頃、この「投げ捨て御免」のことで問題が発生した。

川に投げ込まれた者が「これは度を越している。あんまりだ」と藩に訴え出たのだ。

藩は訴えを受理したのだが、清左衛門の

「三斎公以来の水練の場で編み笠を脱がない無礼をどうして許せようか!」

という抗議の前にこの訴えは吹っ飛んだ。

これだけの権威のある遊泳師役だからこそ、定員は1名だったのだ。

清左衛門は「姫君たちも水練に熱心だ」と書き残している。

女性用水着の無い時代にどんな格好で泳いでいたんだろう?

と、ちょっとエロいことが頭をよぎったりする。