もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

姫路城

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【2009年4月7日】

池田輝政は後妻がいえやっサンの娘・督姫だったことから播磨・備前・淡路の3ヶ国の国持大名になれた。「親の七光り」ならぬ「妻の七光り」だ。

池田家はもともと織田家の中では発言力のある家で、信長の死後も織田系豊臣大名には影響力があった。

このため、いえやっサンは将来この影響力を使おうと督姫を輝政に嫁がせた。将来というのは秀吉の死後のことだ。

いえやっサンの読みは当たった。

輝政をはじめとし、豊臣恩顧の大名はみんなして東軍に付いた。

そして、輝政は86万石の大大名となり「播磨宰相様」だとか「姫路百万石様」だとか呼ばれるようになった。

ある日、輝政は督姫や重臣たちと食事をした。

その席上、督姫の侍女が「今日、殿が世間から『播磨宰相様』などと呼ばれるようになったのは姫様のおかげでございます」と言った。

重臣たちは明らかに「不快だ」という表情を見せた。

輝政はその場の雰囲気を察知し

「86万石は我等の槍働きへの対価だ。それを忘れるな!」

と侍女を怒鳴った。

督姫は普段おとなしい夫が大声を上げたのでびっくりし、侍女を下がらせた。

侍女は「たぶん、何らかの処分がある」と覚悟した。

食事が済んだあと、輝政は侍女のもとに行った。

処分があるものと思っている侍女は、両手をついたまま固まっている。

輝政は

「あのさ、おまえの言う通りなんだよ。督姫のおかげなんだよ。でもさ、あいつら(重臣たち)の前でそれは言っちゃダメだってば」

と言った。

「あいつらはな、戦場でいのちのやりとりをして、それを誇りとしてる連中なんだよ。だからさ、もうちょっとあいつらの気持ちを察してやってくれよ」

輝政はそう言って、侍女に対して何の処分もしないことを告げた。

これを聴いた督姫は「あの人らしい。あの人優しいから」とくすくす笑った。

督姫は北条氏直との最初の結婚に失敗しているが再婚相手の輝政とは上手くいった。

それはおそらく輝政の性格によるものだろう。

輝政の影響力は輝政が死ぬまで続いた。

いえやっサンが豊臣家に対して直接行動(合戦)を起こすのは慶長19年。輝政の死は慶長18年。

いえやっサンは輝政が死ぬまでは豊臣家に実力行使出来なかったのだ。

輝政も加藤清正同様、武力による豊臣家討滅を嫌がった。