【2009年4月6日】
津田真道。
法律の専門家で、衆議院議員・貴族院議員を歴任し男爵を与えられた。
真道は津山藩領内の林田というところで生まれた。
父は藩の料理人だった。
「家を継ぐのは、イヤだなあ」
子供の頃から真道はそう思い続けていた。
料理人の何がイヤだったのか?それは本人に聴いてみるしかないな。
ただ、真道には人一倍
知的好奇心
があった。
「何で?どうして?教えて?聴かせて?」
真道は自分自身の欲求を満たすために勉強した。
蘭学に明るいということで、真道は幕府に雇われ蕃所調所の教授手伝いとなった。
そして幕命により4年間オランダに留学した。
このオランダ留学組の中に西 周(にしあまね)がいる。
真道は西とともにオランダのライデン大学で学び、フィセリングの講義を聴いた。
この講義内容は真道の帰国後『泰西国論法』という本にまとめられた。
帰国した真道と西を待ち受けていたのは徳川幕府崩壊の現実だった。
真道と西は徳川家中心の政体の憲法草案作りをした。
幕府という形では無い形での徳川家中心の政体。
この構想は徳川慶喜の中にもあった。
が、「王政復古の大号令」とともにこの構想は消えた。
維新後、真道は明治政府に出仕して司法省に勤務した。
司法省では人身売買禁止の建議をしたり、日清修好条規締結に携わったり、陸軍刑法制定に動いたりとオランダ留学で得た知識を生かした仕事をした。
もし、真道が父のあとを継いで料理人になっていたら、どんな料理人になっていたのだろう?
それを考えたとき、それはそれで個性的な料理人になったのかなと思った。