【2009年4月3日】
からしれんこん。
ああ、いいですねえ~。
おかずに良し。
つまみに良し。
このからしれんこん、江戸時代に生まれた。
肥後熊本藩主・細川忠利が当時熊本藩の賄い方(料理人)の平五郎という男に命じて作らせたのが始まりだ。
細川忠利は生来病弱で、これは父・忠興にとっても忠利自身にとっても問題だった。
小倉藩領内に耶馬渓羅漢寺というお寺があって、そこの禅僧・玄宅を訪ねた。
忠利は
「私は生まれつきからだが弱く、父もそのことを心配している。どうしたらよいものか」
と言うと玄宅は
「殿、れんこんをお食べなさい」
と言った。
れんこん。
漢字で「蓮根」。
忠利は「玄宅どのがそういうのなら食べてみるか」と思い、熊本に帰って早速賄い方の平五郎を呼んだ。
忠利は平五郎に「れんこんという食べ物は江戸や大坂、博多や長崎で手に入るのか?」と問うと平五郎はニカッと笑って、
「殿、れんこんは、この熊本でも栽培しておりまする」
と答えた。
平五郎があまりにカラッとした感じでニカッと笑ったので、忠利はれんこんに興味と期待を持った。
平五郎は「殿、私と一緒に城の外堀までお出まし願えますか」と言った。
忠利はれんこんを一目見ようと平五郎と一緒に城の外堀まで出掛けた。
そして忠利は外堀で栽培されているれんこんを生で見た。
「これは加藤清正どのが熊本藩主だった頃に外堀の一角を使って栽培を始めたものでございまする。清正どのはこのれんこんを非常食にと考えておられたようでございます」
平五郎はれんこんの栽培は前藩主の加藤家の代からのものだと説明した。
同じく外堀の一角に、ちょっとニオイのキツい、緑色の野菜が栽培されていた。
忠利はこれにも興味を持ち、「あのニオイのキツい緑色のヤツは何だ?」と問うと平五郎は
「あれはセロリとか申す野菜で、やはり清正どのが栽培を始めました」
と答えた。
れんこんにセロリ。加藤清正も変わってるなあ…
平五郎はれんこんの穴に和辛子粉を混ぜた麦味噌を詰め、それを麦粉・空豆粉・卵の黄身で作った衣をつけて菜種油で揚げたものを忠利に出した。
「うん。ウマい」
忠利は満足した。
れんこんは増血剤として優れており、玄宅の勧めは正しかった。