もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

駿府公園(駿府城)

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【2009年4月3日】

江戸時代の初期は江戸と駿府に政府があった。

幕府は江戸にあるのだが、いえやっサンが駿府にいて実権を握っていたため政府が2つある状態だった。

駿府の政府でいえやっサンの側近として権勢をふるっていたのが駿府老中・本多正純だった。

正純は「駿府の御執政様」などと呼ばれ、江戸の秀忠将軍よりも偉いのではないかと周りが錯覚するくらいの権勢を誇った。

この「駿府の御執政様」の家臣に岡本大八という男がいた。

欲の皮を突っ張らかせた男で、この男が疑獄事件を引き起こした。

肥前日野江藩主(のちの島原藩)の有馬晴信朱印船の乗組員等がマカオで殺害される事件が起こった。

原因はマカオの酒場で酒を飲んでいた有馬家の船の水主がポルトガル船マーデレ・デ・デウス号の船員と口論になり、これがきっかけで有馬家の船の乗組員や有馬家家臣等48人がマーデレ・デ・デウス号の船員に殺害され、積み荷まで奪われた。

晴信はいえやっサンに仇討ちを申し出た。

いえやっサンも「このままにしておくとポルトガルに対して誤ったメッセージを出すことになる」と晴信に仇討ちの許可を出した。

晴信は長崎に寄港したマーデレ・デ・デウス号を焼き払い、仇討ちは終わった。

この仇討ちを監視する目付として岡本大八が同行したことが事件の始まりだった。

岡本大八は晴信に

「今回のポルトガル船焼き討ち、大御所様も大喜びでございます。これは主人から漏れ聞いた話でございますが、大御所様は今回の焼き討ちの功績により、現在鍋島領になっている有馬様の領地を元通りにしてやろうと」

と話した。

晴信は弾んだ声で「それはまことか」と言った。

大八は

「ええもちろん。ただ、これを実現させるには、ちと工作が必要でございまして」

と言い、暗に金銭を要求した。

大八は3年間にわたり「旧領回復」をエサに晴信に贈賄させ続けた。

その額、6,000両(4億5千万円)。

しかし、これだけの大金を大八に渡し続けたのに、いえやっサンからも本多正純からも何も言ってこない。

痺れを切らした晴信はとうとう駿府に乗り込んだ。そして本多正純

「旧領回復のこと、よもやお忘れではあるまいな!」

と問いただした。

正純は「何の話だ」と言い返した。

無理もない。

もともと「旧領回復」は岡本大八が晴信からカネをたかるための作り話。正純は知らなくて当然なのだ。

晴信は怒りのあまりいえやっサンに直接岡本大八を訴えた。

いえやっサンはすぐに大八の身柄を拘束し取り調べを始めた。

大八の罪状はすぐに明らかになった。

ここで困ったのが大八の主人である正純だ。

正純はこのとき大久保忠隣と政争を繰り広げており、大八が処分されると一気に自分の立場が危うくなってしまうのだ。

ここで正純は「悪魔の知恵」を使う。拘束されている大八と口裏合わせをして晴信の罪を捏造したのだ。

大八は取り調べの中でとんでもないことを口にした。

「有馬様は、長崎奉行・長谷川藤広様の殺害を企てました」

と。

長谷川藤広はいえやっサンの愛妾・おなつの兄だ。これが事実ならただ事では済まない。

いえやっサンは今度は晴信の取り調べを命じた。

そんな企ては無い。 結論から言うと、そうなる。

が、晴信がポルトガル船焼き討ちの際に口走った一言を正純は「悪魔の知恵」で大問題に膨らませた。

長谷川藤広はポルトガル船焼き討ちに手間取ったことについて晴信を侮辱する発言をした。

これを聴いた晴信は「ポルトガル船を沈めたあとは、あいつのことを沈めてやる」と口走った。

腹が立ってついつい口走ったこの言葉を、大八は覚えていた。

いえやっサンは岡本大八有馬晴信の両人に判決を下した。

岡本大八収賄の罪で火炙り。有馬晴信は長谷川藤広殺害計画の罪で切腹

と。

岡本大八の詐欺行為同然の疑獄事件は有馬晴信というもう一人の被告人が出現したことで霞んだ。

この場では本多正純の作戦勝ちだった。

が、大八がだまし取った6,000両が大金だったことから、土井利勝をはじめとする江戸の政府の連中は正純に対して拭いようの無い不快感を覚えた。

そしてこの不快感が「宇都宮釣り天井事件」のもとにもなった。