【2009年1月13日】
綱張の頃の福知山藩もまた、他藩と同じで財政がガタガタだった。
綱張は養子藩主にありがちな「間違ったハッスル」をやるようになる。
「よし!財政再建だ!!」と大した財政の知識なんて無いクセに張り切った。
綱張は市川儀右衛門・原井惣左衛門の両家老に財政再建を命じた。
市川・原井の両人は、誰もが思いつくようなやり方をとった。
厳しい倹約令。
年貢の増税。
ここまではどこの藩でもやるし、吉宗将軍&松平乗邑コンビもやった。
ところが市川たちは藩の商品の売買手数料を取って藩財政の足しにするために
産物会所
なるものを作った。
利権の温床を作ったのだ。
「オレたちには『貧乏せえ』と言うクセに、てめえらは私腹を肥やすのかい」
福知山の大親分・松本屋銀兵衛は怒りを爆発させた。
松本屋に居候になっていた者に松岡半十郎というのと西郷新太郎というのがいた。
この二人が銀兵衛の意を汲んで夜中に産物会所を襲い、宿直2名を殺害し産物会所のカネを盗んで逃げた。
そして盗んだカネを生活に困っている人たちにばらまいた。
「義賊だ!」
市川は激怒して松岡・西郷の両人の行方を徹底的に追った。
まず、西郷の身柄が拘束された。
西郷は奉行所での激しい拷問の末死んだ。
「みんなその日の暮らしに困ってるのに、てめえばかり私腹を肥やしやがって!産物会所なんてインチキじゃねえか!!」
西郷はこう叫んで拷問場に散った。
次に松岡が逮捕されて裁判にかけられ、
「判決、死刑」
となった。
松岡は市中引き回しのうえ刑場で斬首となった。
松岡は死に際して
「オレは梅干しが大好きなんだよ。もし、梅干しをオレの墓に供えてくれたら首から上の病気は治してやんぜ」
と言い、首を打たれる前に約5?くらいの小さな観音像を飲み込んでから死んだ。
松岡は辞世を遺している。
三味線の
糸より細き
わが命
引き廻されて
撥は目の前
侠客らしい洒落っ気がある。
撥(ばち)は三味線のバチのことで、罰(打ち首)にかけたものだ。
「オレたちも黙ってたらダメだ!」
この不祥事で朽木綱張は奏者番職を罷免、一揆の原因となった市川・原井の両人は切腹となった。
この一揆を「市川騒動」という。