もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

松本城

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【2010年6月1日】

寛文7年5月22日、松本藩水野家に一人の男がお預けとなった。

名をば、水野元知という。

上野安中2万石の大名だったのだが「発狂乱心」としてお取り潰しになった。

「発狂乱心」だと断定された行為は、妻を江戸屋敷で斬って重傷を負わせた上、自らも自害を図ったというものだ。

妻を斬って重傷を負わせるのも異常だが、自分もあとから自害しようとするなど、やはり狂気の沙汰だ。幕府から「発狂乱心」と断定されても仕方が無い。

水野元知の妻は同じく水野一門で三河岡崎藩主・水野忠善の娘だった。

水野家は大名・旗本合わせて十数家あり、岡崎藩水野家が本家だった。このため、元知は本家から来た妻に頭が上がらなかった。

「かかあ天下とからっ風」

元知の領地・安中のある上野国(いまの群馬県)に昔からある言葉だが、元知夫婦の「かかあ天下」は明らかに度を越していた。

元知の妻は本家から来たということで元知を夫と思わない言動が常態化していた。元知にとって、江戸屋敷でこの妻と一緒に生活するのは生き地獄だった。

そんな元知が、国許の安中で

八重

という女性と出会う。

元知はすぐに八重を安中城に上げて側室にした。

初めは容姿だけを見て城に上げたのだが、八重の優しさ、温かさに元知はすっかり癒された。

「出会えて良かった」心からそう思った。

これが、江戸屋敷の妻に知れた。

「分家の分際で国許に側室など置いて」

この妻は、八重の存在が許せなかった。

翌年、江戸に参勤した元知は体調不良のため幕府に100日の帰国を願い出た。

これを妻は

「仮病を使ってまで、八重と会いたいのか!」

と思い込んで怒った。

これは仮病では無い。元来、元知はからだが弱かった。

が、妻は安中にいる家臣に

「100日経って殿が安中を出発したら、八重を殺してしまえ」

と手紙を送った。

命令は忠実に実行され、八重は殺害されて遺体は川に沈められた。

元知は江戸に向かう道中で八重殺害の報せを聞いた。

「そこまで…そこまでやるのか…」

元知は江戸に着くと、

「八重のいのち、覚えたか!」

と叫んで妻を斬った。妻は重傷を負ったが一命はとりとめた。

元知は「八重、今、側に行くぞ」と腹を斬ったがこちらも一命はとりとめた。

幕府の裁断はお取り潰し。

水野元知は在職3年で改易となった。

元知は37歳で松本で病没した。