【2010年5月10日】
岡田以蔵。
あだ名を「人斬り以蔵」という。
岡田以蔵が関与したとされる殺害事件は9件。
単純計算で9人も殺害しているのだから、「人斬り」というあだ名が付いても仕方ない。
最近の研究では9件のうち、以蔵が関与していない殺害事件もあるということだが、それは専門家の仕事なのでここでは書かない。
「人斬り」と呼ぶくらいだから、ドラマや映画なんかでやるように「天誅!」だとか言いながら刀で斬るのかと思ったら、だいたいは首を絞めて殺すか集団で暴行を加えて殺すかだった。
ただ、殺害したあと首を刎ねて晒すことから「人斬り」と呼ばれるようになった。
あだ名が「人斬り」の以蔵だから刀のイメージが強いのだが、平成18年夏、高知県の坂本龍馬記念館で以蔵の遺品の拳銃が一般公開された。勝 海舟から贈られたものだという。
何故、勝は以蔵に拳銃を贈ったのだろう?
文久3年。
この年、勝は3人組に襲撃された。
このとき、勝の護衛をしていた以蔵が1人を斬って残りの2人を威嚇した。2人は逃げた。
勝は
「以蔵、おまえ、人斬りはやっちゃいけねえよ」
と言うと、以蔵は
「でも勝先生、オレがいなかったら先生も死んでますよ」
と言った。
「そりゃそうだ」
勝は笑いながらそう言ったが、「こいつの人斬りはやめさせなきゃなんねえ」とも思った。
勝は以蔵に
「これをおまえにやる。だからもう人斬りはやめろ」
と拳銃を渡した。
フランス製の拳銃だった。
「そいつはな、てめえの身があぶねえってときにブッ放すんだ。てめえから撃つんじゃねえぞ」
勝は以蔵にこう言った。
以蔵がこの拳銃を使ったかどうかはわからない。
一つだけ言えるのは、以蔵はこの拳銃で誰かを殺害してはいない。
土佐藩に逮捕された以蔵は、「武市さんに不利になることは一切喋るまい」と拷問に耐えた。
が、武市は「以蔵は頭が悪いから、喋ってしまうのではないか」と不安になり、獄中の以蔵に錠剤の毒薬を差し入れた。
毒薬を見た以蔵は
「オレは使い捨てか…」
と武市の冷たさに愛想を尽かし、全てを白状した。
これが決め手となって武市は切腹に処された。
武市のために「人斬り」を繰り返した以蔵は最後の最後、使い捨てへの報復をしたのだ。