【2010年5月7日】
二人のお福。
もう一人は備前岡山城主・小早川秀秋の家老・稲葉正成の妻・お福。
宇喜多秀家の母・お福は美人であったといわれる。
宇喜多家は秀家の父・直家のときに備前・美作を斬り取り、中国の覇者・毛利家と国境を接して睨み合っていた。
直家の晩年、織田信長の中国征伐が起こる。征伐軍の司令官は羽柴藤吉郎だった。
羽柴藤吉郎は女グセの悪さで知られる。
藤吉郎が備前に乗り込むと、真っ先にお福が眼に入った。
藤吉郎の悪い癖で、お福にムラムラと欲情しはじめた。寧々という「世話女房」がいるにも関わらず、だ。藤吉郎は直家の死後、この美人の未亡人を側室にした。
病気なのだろう、きっと。すぐムラムラして、すぐ側室にする。が、藤吉郎の子を産んだのは淀殿だけだ。お福もまた、藤吉郎の子を産むことは無かった。
藤吉郎はお福の子・秀家を猶子(准養子)にした。藤吉郎はいえやっサンの次男・秀康も養子にしている。
オンナ好き・子供好き。これが羽柴藤吉郎の一面である。
藤吉郎は秀家に備前・美作の2ヶ国に備中の一部を与えた。50万石の大大名だ。
さて、もう一人のお福である。
小早川秀秋は関ヶ原での寝返りの代償として筑前名島33万石から備前岡山57万石を与えられた。
稲葉正成も秀秋に従って岡山に移り住んだ。
ここで、正成が「おイタ」をしでかす。
正成は岡山で愛人を作った。その愛人の存在に、お福が気付いた。
事件は、正成が愛人とまぐわっている最中に起きた。
お福が部屋に乱入し、髪を振り乱して愛人をメッタ刺しにして殺害したのだ。
「オレが悪かった!許してくれ!!」
素っ裸で拝むようにお福に何度も何度も頭を下げる正成。
みっともないことこの上ないのだが、正成はこのあとも夫婦関係を続ける。
お福が竹千代(のちの家光将軍)の乳母に登用されると、この夫婦は形式上離婚するが、あくまで形式上のことで、事実上の夫婦関係は続いた。
片や、美人の未亡人。
片や、浮気女をメッタ刺し。
岡山に咲いた「二輪の花」である。