もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

鶴ヶ城公園(会津若松城)

f:id:Hanzoandmozu:20191126173640j:plain

【2010年4月23日】

山本八重という女性がいた。

男勝りの会津女子で、白虎隊士の伊藤悌次郎にゲベール銃の使い方を教えた。

伊藤がおっかなびっくり銃を操作していると

「そんなことじゃ人を撃てないわよ!」

と大声でダメ出しした。

とんでもないおねえさんだ。

このとんでもないおねえさんは戊辰戦争会津若松城に籠城した。まさしく男顔負けだ。

父・山本権八若松城外で戦死、八重もまた城を枕に討ち死にしようとしたが、それは叶わなかった。

生き残った八重は兄・覚馬と同居して新しい生活を始める。

兄・覚馬は優秀な人物で、その優秀さには西郷隆盛が一目置いたくらいである。

その優秀な兄が京都府知事・槇村正直に請われて京都府顧問に就任する。

その頃、一人の若者が京都に学校を作ろうと奔走していた。

彼の名は、新島 襄という。

新島はもとは上野安中藩士で、もともとの名前を七五三太という。

七五三太は「しめた」と読む。

新島の父親が名付け親なのだそうだが、なかなか面白い名前を付けたものだと思う。

襄は「じょう」と読む。

新島がアメリカに渡ったとき、船の中で

“JOE”(ジョー)

というあだ名で呼ばれていたので、それをそのまま自分の名前にした。

アメリカから帰国した新島は教育者を志し、京都に学校を作ろうと奔走した。

その協力を京都府知事の槇村に求めた。

槇村は快く協力した。

新島が作ったのは同志社英学校。のちの同志社大学である。

そんな縁があり、ある日新島が槇村を訪ねると槇村は

「キミは結婚するとしたらどんなオンナがいいんだ?」

と聴いてきた。

新島は

「夫が『東を向け』と言ったら3年も東を向いているようなオンナはイヤだ」

と答えた。

「従順過ぎるオンナ」と「何も考えないオンナ」はイヤだと言いたかったのだろう。

槇村は笑いながら

「キミにピッタリの女性がいるんだが、どうだ?」

と言った。

それが八重である。

兄・覚馬も

「新島さんと一緒になれば、あのおてんばも少しは治るだろう」

と思った。

二人は、結婚した。

こんな話が残っている。

新島は大の甘党で、八重が同志社の学生のために作ったおやつに手を付けようとした。

夫の甘党ぶりを知る八重はおやつの棚に細工をしたのだが、新島は細工を解いておやつを食べてしまった。

山本八重と新島 襄。

個性派同士の夫婦だった。