もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

鶴山公園(津山城)

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【2010年4月20日】

平沼騏一郎

美作津山藩士・平沼 晋の次男として生まれる。

明治21年、帝国大学法科大学を首席で卒業。以後、司法畑を歩み続ける。

明治31年、判事から検事に転身。のちに大審院次席検事に就任する。

次席検事時代に騏一郎は「大逆事件」を担当する。

松室 致検事総長の指揮のもと幸徳秋水以下24名を検挙、うち12人に「大逆罪」を適用し死刑執行した。

この事件を当時の社会背景から見た作品が『坊ちゃんの時代』(双葉社、全5巻)で、関川夏央谷口ジローは見事「大逆事件」と「明治という時代」を描ききった。

『坊ちゃんの時代』は漫画アクションに連載されていて、オレが読み始めたのは物語の終盤、いよいよ幸徳たちが追い詰められ、そして夏目漱石にも死の影が迫っている場面だった。

物語にグイグイ引き込まれ、すぐさま近所の書店に単行本を全巻注文した。

『坊ちゃんの時代』がきっかけで、オレは初めて平沼騏一郎という名前と松室 致という名前を覚えた。

これがきっかけで騏一郎が津山藩士の子供であることも、のちに総理大臣になることも知った。

松室 致はのちに司法大臣を経て法政大学の学長になっている。

幸徳たちを刑法73条で起訴した騏一郎は犯行動機について

「動機は信念なり」

と断じている。

信念というのは社会主義マルクス主義)と無政府主義アナーキズム)を指す。検挙・起訴された者はいずれかに属していた。

刑法73条。

罪名は「大逆罪」。

天皇や皇室・皇族に対し殺害や傷害を企てた者や国事犯に対して適用され、裁判は大審院の1審のみで非公開。判決は死刑か無期懲役のどちらかしか無かった。

このため、幸徳たち12人は死刑執行、残りは無期懲役となった。

明治時代に「光と陰」があるとすれば「大逆事件」は明らかに「陰」の部分だ。

しかし、だからといって松室や騏一郎を悪玉として断じ切れるのかと言われれば、それは出来ない。

社会主義者無政府主義者を認めるだけのゆとりが社会や治安の面に無かったのだ。平面図を見る見方で過去を断罪してはいけない。

自由と規制はコインの表裏。

自由という言葉、そしてその存在が無かった日本人が維新をきっかけにつかんだ自由。

その自由について真剣に考えさせた事件が「大逆事件」なのだ。ただの弾圧といったような薄っぺらいものでは無い。

津山城を見て、平沼騏一郎を思い出したので書いた。