【2010年4月14日】
細川忠興が豊前小倉39万石を与えられたとき、小倉藩領内に船島という小さな、誰も住んでいない島があった。
この島はのちに
巌流島
と呼ばれる。
巌流の語源は「巌流」という流派の兵法(剣術)のことである。
この巌流の使い手と宮本武蔵が船島で決闘したことから、船島は巌流島と呼ばれるようになった。
武蔵と決闘した巌流の使い手については、名前も存在もはっきりしない。そのため、決闘そのものがフィクションだとする人もいる。
当時の細川家の記録にも「決闘があったようだ」とは書かれているが、それ以上の詳細は書かれていない。「噂話」の域で留めている。
しかし、細川家以外の記録にも「決闘はあった」とあることから、決闘そのものは事実なのであろう。
巌流島の決闘の相手は一般的に「佐々木小次郎」と呼ばれる。
長刀の使い手で、飛んでいる燕を斬ったとかいうことで「燕返し」という技の名前まで付いた。
しかし、本当に実在したかどうか?また、実在したとしても、大河ドラマでTOKIOの松岡クンが演じたようなイケメン剣士だったかどうか?
「佐々木小次郎」という名前は数式のχと一緒で、巌流という人物に代入されているに過ぎない。
この代入されたχを解き明かすのは専門家の仕事なので、ここでは書かない。
宮本武蔵は巌流との戦いに勝利した。
そこまでは細川家の記録も他の記録も一致する。
その後のことが記録によってバラバラなため、人によっては「巌流島の決闘そのものがフィクション」と言うのだ。
武蔵は船島に渡った際、船頭から船の艫をもらってそれを削り木刀を作った。
船の艫で作るのだ。
相当長くて太い木刀になる。
これはおそらく長刀である巌流に対抗して長い木刀にしたのだろうと思う。
勝負は武蔵が巌流の頭に木刀で一閃を叩き込んで決着がついた。
巌流は即死だったとも、気絶だったとも言われる。即死のほうが「おはなし」としては盛り上がるのだろうが。
大河ドラマ『武蔵』では巌流島の決闘に細川忠興は関係していたことになっている。
晩年の武蔵と細川家との関係を思ったとき、それは決して不自然な設定では無い。可能性は十分考えられる。
それにしても、飛んでいる燕を斬っただとか、船の艫で木刀を作っただとか、ド派手な話だなァ…