【2010年4月8日】
春日局が土佐浦戸に隠れ住んでいたことを知る人は少ない。春日局がまだお福と呼ばれていた頃の話だ。
お福は斉藤利三という人の娘だ。
斉藤利三。
明智光秀の家臣である。
本能寺の変のあと、利三は秀吉に敗れ光秀ともども殺害された。
お福をはじめ斉藤家の人間は全員残党狩りの対象となった。
お福は叔母を頼って兄とともに土佐浦戸へ逃れた。
土佐浦戸。
長宗我部元親の本拠地である。
お福は浦戸で数年の間を過ごした。何年間過ごしたのかは、はっきりしない。
長宗我部元親はのちに秀吉の四国征伐に敗れ、土佐一国に押し込められた。
また秀吉。
父を殺害したのも、元親を叩いたのも、全て秀吉。
お福は秀吉に対して決定的な悪感情を抱いた。
時が流れ、大坂の陣で豊臣家が滅亡する。
秀頼に嫁いでいた千姫が江戸に出戻って来た。
再婚先が見つかるまで千姫は江戸にいることになるのだが、お福はあまりいい顔をしなかった。
お福は千姫が秀忠将軍に秀頼の命乞いをしたことを知っていたからだ。
父親を奪い、浦戸での平穏な暮らしを奪った秀吉。その秀吉の息子の命乞いをした千姫。
千姫江戸在城中、お福は遠回しに
「ここからいなくなってくれ」
とさえ言った。
お福にとって、本能寺の変から四国征伐を経て家光将軍の乳母になるまでの間、本当にろくなことがなかったのだろう。
お福が暮らした浦戸は、山内一豊が高知に築城するに従い土佐の本拠地では無くなった。
この高知に、今度は豊臣恩顧の元大名が移り住む。
毛利勝永だ。
毛利勝永は大坂の陣の直前に土佐を脱走し、冬の陣・夏の陣で豊臣軍の指揮官として活躍した。
「豊臣憎し」のお福。
「豊臣恩顧」の勝永。
時間差があるものの、この2人が同じ土佐で隠れ住んでいたところに皮肉と面白さを同時に感じる。