もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

姫路城

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【2010年3月15日】

「外様など、あるだけ迷惑」

「浪人など、ゴミと同じ」

秀忠将軍から家光将軍の頃にかけての幕府上層部の考え方である。

この頃の幕府は外様大名に難癖をつけては取り潰していた。

熊本の加藤忠広なんかがいい例で、加藤忠広は土井利勝が罪を半ば捏造して改易に追いやった。

広島の福島正則もそうで、広島城改修の届け出をわざと知らなかったことにして「ルール違反」を言い立てて取り潰した。

池田利隆は父・輝政の遺領播磨姫路52万石のうち42万石の相続が認められた。

しかし、利隆が死ぬと幕府は

「嫡男・新太郎どの(光政)はまだ幼いので播磨を治めるのは無理だろう。新たに因幡伯耆の2ヶ国を与えるので、播磨は収公する」

と言って来た。

幕府にそう言われればそれに従うしかない。

播磨姫路は42万石だが、因幡伯耆は2ヶ国で32万石だ。池田家では当然不満と苦情を幕府に言い立てた。

苦情を受け付けた土井利勝

「高を繰り延べれば、因幡も播磨同然」

と言って池田家の家臣を唖然とさせた。

「高を繰り延べる」

年貢の増税のことである。

姫路42万石の収入は四公六民で16万8千石。しかし因幡鳥取は32万石なので12万8千石となり、4万石の不足が出る。

この4万石の不足分を「高を繰り延べてしまえ」と利勝は言っているのだ。

32万石から16万8千石を取るためには五公五民より少し重たい税率(52.5%)にしなければならない。一番迷惑したのは池田家ではなくて鳥取の住民だった。

このように、幕府は外様大名を「あるだけ迷惑」とした政策を取った。

その結果大量の浪人を発生させ、由比正雪事件のきっかけとなった。

池田家転封のあと、播磨一国は姫路藩が15万石、その他小大名が数藩出来て、残りは天領となった。また、御三卿の領地は播磨国の中にもあった。

幕府の外様大名政策の見直しは、家綱将軍の代に保科正之が実行した。