もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

松山城

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【2010年1月6日】

奉天へ!」

これが陸軍大将・秋山好古の最期の言葉だった。

奉天の決戦。

日露戦争は「海で勝って、陸で引き分けた」戦争だった。「引き分けた」というのはオレが日本人だから贔屓目に見て言っているのであって、ロシア人に言わせれば「オレたちはまだまだやれたんだ」と言うのだろう。

「潮を見て、講和を」

児玉源太郎がそう言ったのも無理はない話で、日本軍はもう兵力に限界が来ていたが、ロシア軍はまだまだ戦地に兵士を輸送出来た。ただ、明石元二郎がロシア国内を調略して引っ掻き回したので、ロシア皇帝が「これ以上長引かせたくない」という気持ちになったのだ。あくまで皇帝の心理的理由であって、軍事的には「オレはまだまだやれるんだぞ」という状態だった。

奉天の戦いを勝利に導いたのは満州軍第2軍・秋山支隊がロシア軍の退路にあたる場所に陣を構えたからだ。

これを見たロシア軍総司令官クロパトキンは退却を命じた。

ロシア軍は総崩れ。

勝った日本軍は「講和に持ち込む潮」を手繰り寄せた。

明石元二郎の調略が心理戦なら、秋山好古の後方攪乱も心理戦。

司馬さんは『坂の上の雲』でクロパトキンの退却を「理解に苦しむ」と書いているが、当のクロパトキンからしたら「退路を絶たれた」と錯覚を起こしてしまったのだから無理もない。

好古の行動は正しかったのだが、当時世界最強と言われたロシアのコサック騎兵との全面対決は実現しなかった。

だからだろうか、好古は戦後奉天の決戦の話になると

「もし、勝ったように見えるなら、それは一歩も退かんかったからじゃろう」

と話している。

全面対決がなかったから勝った気になれなかったのだろう。

奉天の決戦のあと、児玉源太郎はすぐ東京に帰り山縣有朋

「ここが潮じゃ。さっさと講和せんかっ!」

と言った。

「陸軍は戦争続行不可能」児玉はそう言っているのだ。

その「続行不可能」になる前の最後の一撃を秋山好古はキメたのだ。