【2011年9月7日】
「七郎麿君を、ぜひとも一橋家に」
首席老中・阿部正弘は水戸藩主・徳川斉昭にこう言って頭を下げた。
家慶将軍には家定という後継ぎがいたが、家定には知的障害があり大奥との間に14代将軍をもうけることは不可能だった。
そこで、正弘はまず七郎麿を一橋家当主とし、世継ぎを作れないであろう家定の後継者とすればいいと考えて斉昭に打診した。
一橋徳川家は御三卿のひとつで、御三卿とは吉宗将軍が創設した御三家のことである。
吉宗将軍は自分の死後も自分の血筋から将軍職を出すことを願い、田安・一橋・清水の三家を創設した。これを御三卿という。
御三卿は御三家と違い城地を持たない。その代わり、幕府から毎年10万石が与えられる。これは、30万石程度の大名の収入に匹敵する。
御三卿からは一橋徳川家から豊千代が将軍家に入って家斉将軍となっているため、七郎麿が一橋徳川家から家定の後継者として将軍家に入ることは決して不自然ではない。
家慶将軍はこの話を良しとした。七郎麿は聡明だとの噂が江戸にまで聞こえており、家慶将軍は
「良い話じゃ。伊勢守、早々に話をまとめよ」
と阿部正弘に命じた。正弘は早速話をとりまとめた。
こうして水戸の七郎麿は一橋徳川家を相続し、名を
と改めた。「慶喜」には2つの「よろこぶ」の文字が使われている。正弘のみならず家慶将軍の喜びもそこに表れている。
正弘は慶喜を家定に会わせた。わざと会わせたと言ってもよい。
「うがーっ!」
意味不明の叫び声をあげながら、火縄銃を持って鳥を追いかけ回す家定。
「これが13代将軍か…」
その姿を見た慶喜は気持ちが暗くなった。
さらに暗い気持ちに追い打ちがかかる。
家定の部屋に招かれた慶喜は目の前の家定を見て驚く。
家定が火鉢の上の豆をフーフー吹きながら焼いているのだ。
「一橋か、近う。余が一橋に豆を焼いて取らす」
それはもう、ひょっとこそのものの顔つきで真剣に豆を吹いて焼くのだ。そして、上手に焼けないと、また「うがーっ!」と奇声をあげて癇癪を起こす。
「見たぞ、伊勢守…」
慶喜は静かに言った。
「たとえ13代将軍が家定公でも、私の上様は慶喜公でございます」
正弘は覚悟を込めて慶喜に気持ちを伝えた。
慶喜は安政の大獄で14代将軍にはなれなかったが、正弘の死後、最後の将軍となった。
阿部伊勢守正弘、備後福山藩主である。