【2011年4月28日】
西郷吉之助は最初、徳川家に対する処分に慶喜の岡山藩お預けを入れていた。
これは、慶喜自身と幕臣に対して屈辱を加え、怒った幕臣連中と江戸を主戦場にして戦い、徳川幕府をきれいさっぱり消し去ろうと考えたものだ。
西郷には、こういうところがある。「戦争屋」というあだ名はこんなところから付いたのかも知れない。
岡山藩主は大政奉還の直前まで慶喜の実弟・池田茂政であった。しかし、岡山藩内の尊皇攘夷派によって廃され、分家の鴨方藩から池田章政を迎えて岡山藩主としていた。
西郷はそのへんの事情も見ていたのであろう。岡山藩お預けとなれば、功を挙げたい尊攘派が勝手に慶喜を殺害してくれるかも知れない。慶喜の首をもぎ、江戸を主戦場に幕府をきれいさっぱり滅ぼす。
「悪魔の知恵」そのものだが、この「悪魔の知恵」に待ったをかけた男がいた。
山岡鉄太郎。
鉄太郎は西郷に
「江戸開城と武装解除は受け入れる。だが、慶喜公の岡山藩お預けは断固受け入れかねる」
と言った。
西郷は
「何ば言うとっとじゃ。慶喜公は大将首ごわんど。命ば取らんとだけでも寛大と思うてもらわんと」
と、「悪魔の知恵」を押し通そうとした。
西郷はこの駿府の時点で「江戸無血開城」を真面目には考えていない。
「悪魔の知恵」で慶喜も幕府も潰してやろうと思っていた。
しかし、次の瞬間、西郷は恐怖を覚える。鉄太郎は
「西郷先生、もし、あなたと私が逆の立場だったら、慶喜公の岡山藩お預けを飲めますか?」
と静かに凄んだ。
そのへんのチンピラが凄むのとは違う。
「鬼鉄」の異名を持つ剣豪なのだ。たとえ丸腰でも、その迫力と殺気は尋常なものでは無い。
西郷は、完全に気圧された。
止まらない鼓動と額と背中に伝う不愉快な脂汗。
「殺される」西郷は直感的にそう思った。
無論、自分を殺せば鉄太郎もその場で薩摩の手の者に始末される。しかし、そうわかっていても、鉄太郎は自分を殺すであろう。
西郷は搾り出すように、ようやくこの一言を口にした。
のちに西郷は鉄太郎について
「カネも要らぬ、名誉も要らぬ、命も要らぬという者は始末に困る」
と言っている。