【2012年10月15日】
大石主税良金。
言わずと知れた大石内蔵助の息子である。
父・内蔵助は細川家へ、主税は久松松平家へお預けとなったので、この父子は泉岳寺で永遠の別れとなった。
伊予松山藩久松松平家では、初め預かった赤穂浪人たちを罪人扱いした。
それ自体は、間違いでは無い。
しかし、江戸っ子たちのアイドルである赤穂浪人の「その後」は興味と注目の的であった。
そんな江戸っ子たちに、「どうも久松松平と毛利は赤穂の義士たちを罪人扱いしているようだ」という噂が流れた。
江戸っ子たちは怒りと抗議の意味合いを込めて
細川の
水の流れは
清けれど
ただ大海の
沖の濁れる
と皮肉を詠った。
「細川と水野は赤穂浪人を人間扱いしてるのに、久松松平と毛利は罪人扱いしている」とこき下ろしたのだ。
父と離ればなれになったうえ、罪人扱いされた主税の心境はいかばかりであったろうか。
この皮肉を聴いて、松山藩では赤穂浪人たちの待遇を改善した。
大石主税について、同じく討ち入りに参加した小野寺十内は
「身長171cm、大人のような風貌」
と書き残している。
また、四十七士のリーダー格として知られる原 惣右衛門は
「まだ15歳とは思えないくらい大人びている」
と書き残している。
二人が書き残したことを合わせて見たとき、もし、赤穂藩が取り潰されずに存続したら、主税は父親を超える名城代家老になっていたのかなと思う。
主税は吉良邸討ち入りでは裏門組だった。
裏門から討ち入った主税は邸内に大きな穴が掘られているのを見つける。
主税は「もしや、これは抜け穴では…」と思った。もし抜け穴だったとしたら、吉良はここから逃亡してしまう。吉良の逃亡を許したら今までの苦労が全て水泡に帰してしまう。
主税は怖じ気づく他の浪士たちの前で
「このような探索こそ、我等若者の務め!」
と穴に飛び込んだ。
穴は結局行き止まりだったが、主税のこの行動は「さすがは御城代の御子よ」と思わせた。
切腹の日。
肩に力が入っている主税に気づいた堀部安兵衛が後ろから
「拙者もただいま!」
と声をかけて緊張を解した。
大石主税、享年16。
のちに細川家家臣・堀内伝右衛門は主税について
「大男大力にて、その夜も大長刀にて弁慶にも勝りたること承り候」
と書き残している。