もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

駿府公園(駿府城)

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【2012年4月10日】

元和2年。

駿府城で病床にあったいえやっサンは、もはや自分の健康の回復は見込めないと悟って江戸老中・土井利勝を枕元に呼び寄せ、遺言を残した。

その遺言は秀忠将軍の補佐のことが中心だったが、ある1点、いえやっサンは黒い遺言を利勝に残している。

それは、

「福島左衛門大夫だけは、ワシの死後必ず取り潰せ」

というものだった。

福島左衛門大夫正則。

安芸・備後2ヶ国49万8千石の太守で、もとは豊臣恩顧の大名だった。

正則がいえやっサンに憎まれた理由は、関ヶ原の戦いまで遡る。

正則は関ヶ原の戦勝の直後、

「あのクソ忌々しい石田治部少輔を倒したのだ。この慶しい結果をまんかか様にお伝えするのじゃ!」

と、北政所(ねね)に使者を出して戦勝報告をしようと思った。

そしてその使者に佐久間加右衛門という者を選んだ。

佐久間加右衛門。

小柄で、ちょっと猫背で、それでいて明るい人柄で正則からも他の福島家家臣からも好かれていた男だった。

加右衛門が関ヶ原から近畿へ向かう道中、事件は発生した。

近畿への道筋はいえやっサンの家臣の伊奈図書という、いかにも「ヤクニン」といった感じの男が守備していた。

加右衛門は伊奈図書に「主君・福島左衛門大夫の命令で北政所様へお使いに参る。ここをお通し願いたい」と告げると、伊奈図書は「主命で誰もここを通すなと言われておる。お引き取りあれ」と返事した。

加右衛門が「そこを何とか…」と頼み込むと、伊奈図書は「うるさい!」と一喝し、さらにそのうえ加右衛門を馬から引きずり降ろして言葉による侮辱を加えた。

加右衛門は正則の陣に戻ると、事の次第を正則に全て話して切腹した。

正則は眼の前の加右衛門の遺体を眺め、やがて狂ったように叫びながら両手で床を殴り始めた。

少し経って、いえやっサンの陣に佐久間加右衛門の首が届いた。

加右衛門の首に添えられた正則からの手紙には

「私の大切な部下は、こうして死にました。だからあなたも伊奈図書の首を私に下さい」

と書かれていた。

まだ、関ヶ原の戦いが終わったばかりだ。

それは徳川の天下が完全に確定していないことを意味する。

しかも福島正則関ヶ原では主力部隊だったのだ。

「やむを得まい」

いえやっサンは安藤直次に命じ、嫌がる図書を無理やり切腹させて首を正則に送った。

いえやっサンの怨みはここから始まったのだ。