もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

なめくじ長屋の里菜日記/本多政重-出自-

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金沢からうめえ地酒が届いたって水戸のジイサン、この一升瓶を弥七のヤツに持たせてよこした。

こりゃもう、魚で合わせるしか無えな。

おい左平次、おめえちょっくら魚辰行ってな、さばでもあじでもいわしでも構わねえから、青いのちょっと買って来い。

里菜サン、今日はその「すいーとぽてと」は食えねえな。

何せ今ァ左平次に魚辰行かせてるとこだからな。

金沢の地酒に青魚の刺身。

ま、せっかく「すいーとぽてと」持って来てもらったんだ。今日は食わねえが里菜サンの聴きてえハラキリトンチキの話はしてやるぜ。

本多安房守(本多政重)様?

こんな奇遇もあるんだなあ。

里菜サン、安房守様は加賀(加賀藩前田家)の筆頭家老だ。オレの目の前の酒も金沢の酒。面白れえや。

でもよ里菜サン、あのお方はトンチキなんかじゃねえぜ?

安房守様はな、あの本多佐渡守正信様の次男坊だ。安房守様の兄貴は例のあの本多上野介(本多正純)様よ。

安房守様は天正8年に生まれた。で、次男坊だから家を継がねえってことで倉橋長右衛門ってえ人の養子になった。だから最初の名前は倉橋長五郎だ。

この長五郎あんちゃんがやっちまうんだ、里菜サン。ありゃあ確か慶長2年だから長五郎あんちゃんが18歳のときだ。徳川家の同僚に岡部荘八ってのがいたんだが、こいつと喧嘩になって斬っちまったんだ。岡部のヤツァ即死、当然遺族から倉橋・本多両家に苦情が来る。徳川家に居らんなくなった長五郎あんちゃんはどういうワケか大谷刑部(大谷吉継)様ンとこに転がり込んだ。こンときはまだ権現様と刑部様は仲良しだったからな。でもまあ里菜サン、仲良しってえことは刑部様のお気持ちひとつで身柄を江戸に引き渡されるってこった。

ま、喧嘩の理由が何かはわかんねえんだがな、江戸に引き渡されたんじゃタダじゃ済まねえってことくらいは長五郎あんちゃんにもわかる。で、長五郎あんちゃんは刑部様に間に入ってもらって備前中納言様(宇喜多秀家)の家臣になった。長五郎あんちゃんはこのとき改名して正木左兵衛ってえ名前になった。宇喜多家じゃ長五郎あんちゃんに2万石与えた。喧嘩で相手殺しちまってどうしようもねえヤツに2万石だ。備前中納言様から見て長五郎あんちゃんには見どころがあったんだろう。

そのあとちょっとしてから関ヶ原だ。里菜サンも知っての通り、関ヶ原は権現様の勝ちいくさだ。負けた備前中納言様はトンズラしちまうし、左兵衛サンは近江堅田(いまの滋賀県堅田)に逃げて当分じっとしてた。その堅田でじっとしてた左兵衛サンを左衛門大夫様(福島正則)が「おめえは、見どころがある」って言って家臣にしたんだ。左衛門大夫様はひとつでも見どころがあればすぐに家臣にした。左衛門大夫様の家臣の中にゃあ足が不自由、耳が不自由、言葉が不自由な家臣もいたが、何かひとつでも見どころがあれば家臣にした。そんなところが左衛門大夫様の良さなんだろう。

でもよ里菜サン。そんなお人でも欠点があった。その、アレだ里菜サン。左衛門大夫様は酒癖悪くってな。左兵衛サンは「こんな酒癖悪い殿さまはゴメンだ」って福島家を逃げ出した。

またまた浪人になったところにだ里菜サン、どこで聞き出したのかは知らねえが加賀の豪姫様が「正木左兵衛が生きている」って突き止めた。そりゃ、豪姫様から見りゃあ左兵衛サンは愛する夫・備前中納言様の大事な家臣だからな。で、豪姫様は前田の利長様に頼むんだ。「正木左兵衛を加賀で召し抱えてくれろ」って。利長様は豪姫様の願いを聞いて左兵衛サンを3万石で召し抱えた。普通ならこれで3万石の陪臣(大名の家臣)で収まっておしまいなんだがな。そうはなんなかった。

慶長8年のこった。

利長様は匿ってた備前中納言様の身柄を江戸に渡した。左兵衛サンはそれが許せなくてな。「元の主君を江戸に売るようなヤツの下には居たくねえな」って3万石放っぽり投げて浪人になっちまった。24歳の左兵衛サンにゃあ真っ直ぐな気持ちが強かったってこったな。

またまた浪人になったが、里菜サン、左兵衛サンを召し抱えてえってお方がまた現れるんだ。直江山城守(直江兼続)様だ。山城守様はてめえの娘の於松様と左兵衛サンを縁組させた。これが慶長9年のことで、左兵衛サンは25歳で初めてカカアを娶ったんだ。こンとき、左兵衛サンも直江家の婿養子になって名前を直江勝吉様に改めた。でもよ里菜サン、於松様は次の年に病気で死んじまう。これで直江家とは縁が切れるところなんだがな、山城守様は養女を迎えてもういっぺん勝吉様と縁組した。この養女が阿虎様で、勝吉様と阿虎様はずっとおしどり夫婦だった。

山城守様が左兵衛サン改め勝吉様との縁にこだわるのには理由があった。

里菜サン、山城守様は上杉の家老だ。上杉は関ヶ原じゃ石田に付いちまったからな。江戸に幕府が出来てからは冷や飯食いよ。その冷や飯食いから何とか脱却するにゃあ徳川と「ぱいぷ」が欲しかった。勝吉様は佐渡守様の次男坊だ。上杉と徳川の「ぱいぷ」になるだろうってな。

山城守様は阿虎様と縁組させたあと、勝吉様に「姓を本多に戻したらどうだ」と勧めた。18歳で倉橋家を飛び出して今や30歳だ。慶長14年、直江勝吉様は本多政重様と名前を改めた。これが本多安房守政重様の「でびゅー」だ。

慶長16年。32歳の安房守様は米沢を後にして江戸へ向かった。上杉と徳川の「ぱいぷ」としての役割りを果たすためにな。

で、この先だ。この先の人生で安房守様と加賀藩前田家がつながるんだが、こいつはまた明日の話だ。

銘酒にすいーとぽてとも合うかも知れねえな。

里菜サン、また。