もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

なめくじ長屋の里菜日記/横山長知

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いつも里菜サンにはすいーとぽてともらってばっかだからな。

今日は唐芋(さつまいも)できんとん作ってやるよ。里菜サンの時代と違ってオレたちは砂糖を手に入れらんねえが、唐芋そのものの甘さでうめえきんとんが出来るんだ。

また里菜サン、箱いっぱいのすいーとぽてとだな。

で、今日はどこのハラキリトンチキの話すりゃあいいんだい?

横山山城守長知様?

ああ、こないだ安房守様(本多政重)の話したからな。

里菜サン、横山様もまともなお方だ。トンチキなんかじゃ無えぜ。

横山様は親父の長隆様ともども前田利長様にお仕えしてた。その頃利長様は利家様とは別に信長公から越前府中3万石を与えられててな。それで横山様父子は最初っから利長様の家臣ってえワケだ。

利家様が薨去されて利長様が前田の本家を継ぐと、横山様も本家の家老職に任ぜられた。ま、ここまでは良かったんだがな、里菜サン、大名家も「組織」だ。新顔に対していじめをやるヤツもいるのよ。

家老に奥村摂津守(奥村栄頼)ってえイヤなヤツがいてな。そいつが横山様をいじめるんだ。「おめえは利長様の代からの家老で、オレたちは利家様からお仕えしてるんだぞ」ってな。事あるごとに奥村のヤツァ横山様をいじめた。

あれァ確か慶長18年のこった。奥村のヤツァ利常様に「横山山城守は徳川と通じて前田を潰そうとしています」って讒言しやがった。利常様はこの口からデマカセ信じちまって同じく家老の篠原出羽守様(篠原一孝)に「横山一族を討ち取れ」ってお命じになられた。篠原様は横山様に「山城守どの、これは奥村が何か企んでの讒言に違いない。私が時間稼ぎしますから、山城守どのはご一族を連れてお逃げなされ」って言って横山様たちを京へ逃がした。逃がすと篠原様は隠居の利長様のもとへ包み隠さず御報告よ。利長様は「出羽守、それはおまえの言う通り讒言だ。山城守を討ってはならぬ。あとのことはワシと安房守(本多政重)で片付けるから、おまえは横山に手出しするな」ってお命じなすった。

篠原様は利常様に「大殿の御命令でござれば、横山どのの討手、引き受けかねまする」って横山様の討手を断った。そこに居た奥村のヤツが「篠原っ!殿の命が聞けぬのかっ!」って怒鳴ったんだがな、ここで里菜サン、安房守様の出番よ。安房守様ァな、奥村のヤツに「大殿あっての殿じゃ!奥村どの、慎まれいっ!」って一喝した。一喝された奥村のヤツァ何にも言えずにのこのこと引き下がった。ま、これが5万石の筆頭家老とネチネチいじめなんかする小者家老との違いだな。

翌年、大坂の陣が起きたとき、奥村のヤツァ安房守様と一緒に例のあの真田丸を攻めた。里菜サンも知っての通りこいつは散々な負けいくさでな。前田軍があわや全軍壊滅ってとこまでやられたんだ。と、ここでだ里菜サン。遠くから真田軍の横っ腹を襲う一軍が現れた。先頭の立派なヨロイカブトのお侍が「我こそが前田利長家臣、横山山城守長知!真田の者ども見参!」ってよく通る声で名乗りを挙げた。横山様が帰って来たのよ。

横山様が真田軍の横っ腹突いたおかげで前田軍は壊滅しねえで済んだが、そりゃあもう散々な負けいくさだった。

その日のうちに軍法会議になってな。利常様は「山城守、オレが悪かった。許せ。前田家への帰参許す」って横山様に頭ァお下げなすった。で、こっからだ里菜サン。横山様は奥村のヤツに怒り爆発させたのよ。「てめえみてえなトンチキのせいで、いったいどれだけの兵を犠牲にしたと思ってやがるんだ!」って怒鳴った。奥村のヤツァ「トンチキとは何だトンチキとは!オレは家老、おまえは帰り新参じゃねえか!」って怒鳴り返した。そしたら横山様は「こンだけたくさんの兵を死なせて家老もクソもあるか!このウスラトンカチ!」ってこれまたやり返す。で、奥村のヤツが「ウスラトンカチだ?てめえ、人を馬鹿扱いしやがって!」ってやり返すと横山様は「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いんだこの馬鹿!」って怒鳴りつけて奥村のヤツを黙らせた。

この場では無茶な突撃を命じた奥村のヤツが悪いってことになってな。そのあとだ、里菜サン。篠原様が利常様の陣を訪れて前年の討手拒否の話をしたんだ。利常様は「横山に済まないことをした。元通り、家老として仕えてもらおう」って言った。篠原様もにっこり笑って「これで良かった」ってな。篠原様はそこで「奥村どのは、いかがなされまするか?」って聴いたんだ。そしたら利常様は「明日の朝、話す。今日はもう寝よう」って返事しなすった。

翌朝、諸将が居並ぶなか、利常様は「奥村摂津守、前年の讒言と昨日の真田丸攻撃の不手際により当家追放!」って申し渡した。奥村のヤツァそのあと京でひっそりと死んだ。

大坂落城後、幕府は徳川の大坂城建てるってんでその普請(工事)を前田家にやらせた。こンときだ、里菜サン。同じ現場で普請を担当したのが横山様と安房守様だったんだ。

横山様も最初は安房守様を「徳川のスパイ野郎」って眼で見てたんだがな、毎日毎日顔合わせて一緒に仕事するうちに「こいつは信用出来る。信じていいヤツだ」って打ち解けていった。大坂城が出来あがる頃にゃあすっかり親友同士よ。横山様も前田家の中で苦労の連続だったし、安房守様も前田家に来るまでが苦労の連続だった。苦労人同士、ウマが合ったんじゃねえのかな。

その親友に家光公から手紙が届く。「14万石やるから、江戸に戻って来い」ってな。

横山様は最初「安房どのにも立場があろう。淋しいことじゃが、仕方あるまい」って思った。でもな里菜サン、篠原様が横山様に「実は山城守どの、奥村の一件のとき討手を出させなかったのは筆頭家老でござる」って教えたんだ。それ聴いた横山様は「安房どのを江戸に行かせちゃなんねえ」ってな。

横山様は「安房どの、江戸に行くな!これは家老としてじゃ無え、親友としての頼みだ!」って安房守様を引き止めた。眼ェいっぱい涙ためて「行くな!」って安房守様に言ったんだ。安房守様も「わかった。親友を残して江戸へは行けねえよ」って加賀に残ることにした。

正保3年1月21日、横山山城守長知様は親友に先立ってこの世を去った。享年79。

太閤と利家様もそうだったが、いつの時代にも親友の間柄ってえのはあるモンだ。心が無きゃあ親友はつくれねえ。その心の大切さは、利長様が教えたんじゃねえのかな。「気持ちは伝わる」ってな。

唐芋のきんとんも酒によく合うんだぜ。

里菜サン、また。