おい左平次、里菜サンがれなと一緒になって醤油樽持ってこっち来るけど、おめえ醤油頼んでたのか?
ん?
今年はたまり醤油の雑煮作りてえから頼んでたって?
確かにあれァうめえからなあ、って、醤油樽運んでんの里菜サンじゃねえか。れなのヤツァ醤油じゃなくてでっけえ菰抱えてるぜ?あいつ菰に何くるんでやがるんだ?
あん?
左平次、お凜もいるぞ。
ああ、オレァめまいして来たぜ。お凜のヤツ、コケコッコーのオロク(死体)持ってるぜ。正月早々縁起でも無えヤツだな。
左平次、おめえ台所から昨日撞いた餅持って来い。今日はあの三人に雑煮だ。
里菜サン、大した馬鹿力だな。醤油樽はオレたち大人の男でも担ぐのしんどいんだぜ。
ま、三人ともこれで雑煮こさえてくれろってこったろう?
ああいいぜ。
今、左平次が餅用意してるからな。温ったけえの
食ってけ。
そのれなの菰の中身はれんこんか?
そいつァいい。雑煮の中に歯応えあるのが入ってるとウマいからな。
で、里菜サンがすいーとぽてと持って来るってこたァ…
ああオイ、またかよ里菜サン。
そいつァ筑後侍従様(田中忠政)が家臣を御手討ちにしてる絵じゃねえか。
ダメだぜ里菜サン。
今日はれなとお凜がいるんだ。筑後侍従様の話なんざ出来ねえよ。
さ、雑煮食ったらさっさと帰えってくんな。
ん?
何でえお凜。コケコッコーのオロクのほかに何持って来たんだ?
そいつァおめえ、鏡山じゃねえか。
しょうがねえなあ。
おい左平次、今日は筑後侍従様のあの話するから、おめえちょっと、台所から外見張っててくれ。
里菜サン、筑後侍従様は兵部大輔様(田中吉政)の四男坊だ。上に吉次・吉信・吉興って三人兄貴がいたから、本来家督を継ぐ立場じゃ無えんだけどな。でも筑後柳河33万石を継いだのは筑後侍従様だった。
もともと四男坊ってことで、田中家でも「こいつどうでもいいや」って思われてた。どうでもいい坊やだから兵部大輔様が関ヶ原のあと、「おまえ、江戸言って証人(人質)になって来い」って筑後侍従様を江戸に行かせた。
面白れえモンでな里菜サン。どういうワケかは知らねえんだが、筑後侍従様は江戸にいる連中から好かれた。人気者って言ってもいいぜ。
里菜サン、証人は里菜サンが「いめーじ」する人質とはちょいと違うんだ。証人ってえのは忠誠を誓うことの証人で、人質みてえにどっか狭くて暗い部屋に閉じ込められたりしねえで陽当たりのいい明るい部屋で食事もちゃんとしたものが与えられた。証人は証人を出した側と預かった側が争いになると殺されちまうから決して安心できる身分じゃ無えが、里菜サンが「いめーじ」するような扱いはされなかった。里菜サンにわかりやすく言やあ、外出以外は全て自由だった。
その自由の中に文通がある。里菜サン、手紙のやり取りのこった。
筑後侍従様が江戸の様子を柳河の兵部大輔様に手紙で伝える。そうすると今度は兵部大輔様が筑後侍従様に「田中家のために江戸で動け」って手紙を返す。
里菜サン、証人は人質なんかじゃ無えぜ。筑後侍従様は権現様や秀忠公に田中家が幕府に忠誠心があることを上手に伝えた。加えて、筑後侍従様は人に好かれるお方だったからな。慶長10年の秀忠公御上洛に供を許された。
その4年後、兵部大輔様がぽっくり逝くんだが、秀忠公は四男坊の筑後侍従様に家督相続させた。一番上の兄貴の吉次様は兵部大輔様ご生前に廃嫡、次の兄貴の吉信様は慶長11年に小姓に斬られて死んじまった。三番目の兄貴の吉興様がいたんだがな、ま、恐らくは田中家と幕府の間で筑後侍従様が家督相続することで話が決まってたんだろう。似た話が肥後熊本の細川家にもあって、忠興様の跡を継いだのは次男の興秋様じゃなくて三男の忠利様だったんだが、こいつも忠利様が江戸で証人だったんでこの先幕府と付き合うのに都合がいいだろうってな。
里菜サン、証人は単に江戸行って人質もどきをやるんじゃ無えんだ。江戸で人脈を作るんだよ、御家のためにな。だから証人は人質じゃなくて「外交官」なんだぜ、里菜サン?
筑後侍従様は幕府から信用された。国役普請も大坂冬の陣もきちっとこなした。
が、夏の陣だ。
里菜サン、もともと田中家は豊臣恩顧の大名だ。33万石の国持大名だから中には「豊臣に付くべし」ってのが何人かいた。で、そいつらがあれこれ妨害しやがってな。筑後侍従様は夏の陣に間に合わなかった。
こんなのはお取り潰しにされても文句言えねえんだがな、そこは里菜サン、筑後侍従様が江戸で証人時代に築いた人脈がものを言った。筑後侍従様が駿府で権現様に詫びると、権現様は江戸7年間禁足を条件に筑後侍従様をお許しになった。こういうところに証人だったことを生かせるんだぜ里菜サン。
それとな里菜サン、幕府が柳河藩にお目こぼししてたのがあって、そいつがキリシタンだ。柳河藩田中家は親父の兵部大輔様の頃からキリシタンを庇っててな。兵部大輔様は戒名のほかに「バルトロメヨ」って霊名も持ってた。筑後侍従様もキリシタンを庇いなすってな。今日里菜サンが持って来た絵はキリシタンを処刑した家臣を筑後侍従様が御手討ちにしたのを描いたんだよ。
元和6年8月7日。
田中筑後侍従忠政、没。
享年36。
筑後侍従様には男子がいなかったから柳河藩田中家はお取り潰しだ。
ただ、すぐ上の兄貴の吉興様がご存命だったんで幕府は吉興様に近江・三河・上野のうちから2万石与えて大名としての田中家の存続を認めた。
皮肉だよな里菜サン。
どんなに本人が証人時代に「ぱいぷ」を作っても、家を継ぐべき男子がいなければオジャンだからな。
コケコッコーに餅にれんこん。
元気のでる雑煮じゃねえか。
三人とも食ったらまっつぐ帰えるんだぞ。
里菜サン、また。