もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

なめくじ長屋の里菜日記/徳川継友と八代将軍-勝者と敗者を分けたもの-

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ああオイ左平次、オレァめまいして来たぜ。

あれ見ろよ左平次、アリサがあんなでっけえ鍋持って来てやがるぜ。しかも里菜サンと二人がかりで。

左平次、何でもいいから適当に油揚げ料理こさえてやれや。ったく、あんなでっけえ鍋いっぱいに油揚げ食ったらきつねになっちまうぜ。

何でまた里菜サンまでアリサと一緒になって鍋持って来るかなあ。

ん?

里菜サン、水戸屋敷から手紙預かって来てるって?

おいこれ、手紙と一緒に5両(25万円)包んであるぜ。

何何、「綱條公八代将軍裁定の一件、アリサに話してほしい。金子(きんす)は油揚げの費用に使うべし」だ?

まあゼニくれるんなら油揚げ料理は左平次がいくらでも作るからいいんだが、アリサに日本語わかんのかよ?

へ?

里菜サン、ぷろいせんの言葉がわかんのか?

里菜サンがぷろいせんの言葉に直してアリサに伝えるってワケか。

まあ、水戸屋敷でそうしろって言われたんならそうするが、でも何でまたあの一件を?里菜サン、水戸屋敷で何か言ってなかったかい?

何?

尾張藩の連中が里菜サンとアリサを紀州藩の者だと思って怒鳴り付けたって?里菜サンとアリサのすぐ近くを紀州藩士らしいのが歩ってて、そンで尾張のヤツが思い違いしたってワケか。

で、アリサがどういうワケか知りたくて水戸屋敷行ったらこの手紙って、そういうこったろう里菜サン?

ああこれでワケが飲み込めた。

じゃ、話を聴いてくんな里菜サン。

家継公は4つで将軍になったんだがな、何せ4歳だ、後継ぎなんざいやしねえ。

里菜サン、何度も話してるかも知れねえが、オレたちの時代は里菜サンの時代と違って「小児医療」が発達してねえんだよ。5人生んで2人成長すりゃあ御の字の時代なんだ。

そんな世の中で、4つの坊やが成長するとは限らねえ。案の定、家継公は7つでポックリだ。

里菜サン、家継公の親父の家宣公は家継公が成長しねえことを見据えて御遺言を残した。御遺言には「鍋松(家継将軍)が成長せずに死んだときは、尾張吉通(徳川吉通)をもって八代将軍とすべし」ってあった。この御遺言通りにいきゃあ尾張が八代将軍だった。

でもな里菜サン、家継公が将軍職にお就きになられてすぐに吉通公が薨去なさった。健康体で酒もオンナも程々だったお方が、晩メシ食って血ィ吐いて、そのままポックリだ。さらにだ里菜サン、こンだァその三月くれえ後ンなって一人息子の五郎太坊ちゃんもいきなり高熱出してそのままポックリだ。ま、これで家宣公の御遺言の対象者とその直系の家系が途絶えちまった。

尾張では吉通公の弟の松平通顕様を尾張藩主にしなすった。これが徳川継友公だ。

この継友公がトンチキでな里菜サン。五郎太坊ちゃん死んで尾張藩を継ぐって決まった日に江戸でどんちゃん騒ぎだ。ま、気持ちはわかるんだ。城も領地も無え、女房もいねえ部屋住みから尾張名古屋61万9500石の大大名になれるんだ。舞い上がるなって言うほうが無理だぜ。さすがにこのどんちゃん騒ぎにゃ付家老の成瀬・竹腰の両人からきっついダメ出しがあったみてえだけどな。

こんなトンチキあんちゃんなんで名古屋でも江戸でも評判はイマイチだった。でもこんなイマイチでも尾張藩としちゃあ八代将軍にしてえのよ。継友公も成瀬・竹腰やほかの重臣がしっかりしてりゃあ八代将軍になれたかも知れねえが、成瀬・竹腰もほかの重臣も継友公に似てイマイチだった。

油断しちまったってこった、里菜サン。「尾張は御三家筆頭だから、放っといても八代将軍になれる」ってな。これじゃ殿様もイマイチ、家臣もイマイチって言われてもしょうが無えな。

尾張と八代将軍を争う紀州はこんなマヌケじゃ無かったぜ。里菜サン、紀州様(徳川吉宗)は「情報」を重視した。紀州様は幕府の連中が何を望んでどうしてえのかをまず調べたんだ。そしたらな里菜サン、老中職の連中がみんなして「側用人制度を無くしてほしい」って願ってたんだ。その「情報」を手にした紀州様はさっそく首席老中の土屋相模守様(土屋政直)に御相談よ。「オレが八代将軍になったら側用人制度を無くすとはっきり約束するが、どうだ?」ってな。

土屋様は大喜びで紀州様への協力を約束した。江戸城内の動きは逐一紀州様に御報告だし、細かいことまで土屋様は紀州様にお伝えした。で、継友公にはほんのちょびっとだけ「情報」流して、あとは「御側用人間部詮房)からお聞きになればよろしいのでは」って嫌味たっぷりに言った。尾張側用人制度継続派だからな。それが家宣公の御遺言にもつながった。

そんな「情報不足」のところへだ里菜サン、継友公に縁談が持ち上がる。お相手は関白・近衛家煕公の次女・安己姫様よ。安己姫様は天英院様(近衛煕子)の姪っ子だ。天英院様は家宣公の御台所で、大奥の総大将だ。そんな姫君と縁談なんだから、トンチキの継友公は「八代将軍はオレで決まりだ!」って完全に舞い上がっちまった。マヌケもここまで来ると笑うしか無えな。

で、里菜サン、紀州様だ。紀州様は土屋様からの「情報」をもとに一つひとつ的確に手を打った。その結果、継友公や尾張藩の知らねえところで「八代将軍は紀州様」って流れを盤石にした。

そんな中、家継公が風邪をこじらせて御危篤になった。土屋様は紀州様には「上様御危篤。急ぎ御登城あるべし」って伝えた。紀州様は御城(江戸城)にすっ飛んで行った。一方で継友公には「上様は軽いお風邪。御心配には及びませぬ」って適当なことを伝えた。里菜サン、これで勝負ありだ。

御城で紀州様は天英院様と御対面よ。天英院様は館林様(松平清武)と間部様の処遇について「決して悪いようにはしない」って約束を紀州様から取り付けたうえで「八代将軍は吉宗どのに」とお決めなすった。

「御三家の筆頭で、安己姫様とも夫婦になって、何でそれで八代将軍ダメなんだ?」里菜サン、継友公は納得いかねえ。そこでその手紙の綱條公裁定の話になるんだ里菜サン。

綱條公は継友公に「一つ、権現様から見て吉宗公は曾孫、継友公は玄孫。一つ、家宣公の御遺言に吉通公の名前はあるが、継友公の名前は無い」って言って八代将軍は紀州様にしたって伝えた。

ガックリ肩を落として御城から市ヶ谷の尾張屋敷へ帰る道中、継友公の一行は鍛冶屋の前を通った。そしたらな里菜サン、鍛冶屋の鉄打つ音がトッテンカン、トッテンカンって聞こえてな。その鉄を水に浸ける音がキシュー、キシューって聞こえたんだとよ。「天下取った、天下取った。紀州紀州」ってな。江戸っ子はこれを笑い話にして「尾張には 能無し猿が 集まりて 見ざる聞かざる 天下取らざる」って馬鹿にした。しょうが無えわな。油断してたマヌケが悪いんだから。

これが綱條公裁定の一件だ。この一件を尾張の連中は深く恨んだ。だから紀州のヤツを見かけると腹ァ立てるのよ里菜サン。

継友公はマヌケなトンチキだが、尾張藩主在任中に藩庫に1万3千両(6億5千万円)の蓄えを残した。この蓄えが次の宗春公のときに生きた。

ま、アレだな里菜サン。マヌケにも良いところありってトコだな。

里菜サン、今、左平次が蕪と油揚げを甘辛く炊いたのつくってるから、その鍋いっぱいに持って行きな。

5両のお釣りはウマい酒飲ませてもらうぜ。

里菜サン、また。