もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

なめくじ長屋の里菜日記/徳川吉宗と土屋政直-紀州領は返上に及ばず-

ん?

おい左平治、アレの匂いがするぜ。

じゃ、今日は「かりぃ」の日だな。

左平治、銀シャリたんまり炊いとけよ。あの「かりぃ」をメシにかけて食うとうめえんだよ。

ああ里菜サン、待たせて済まねえ。

へ?

あの背が高くて綺麗な人は誰って?

ありゃあな、ゆかサンってお方で、印度から来なすった。水戸のジイサンのとこで日の本の歴史を学んでるお方だ。

ゆかサンはああやってたまに「かりぃ」を持って来てくれるんだぜ。

何?里菜サンの時代にも「かりぃ」あンのかい?だったらわかるだろ?「かりぃ」はメシにかけて食うとうめえんだよ。

ま、あとで里菜サンもゆかサンの「かりぃ」食ってみてくれよ。

剣菱にすいーとぽてとに、里菜サン、そっちの包みはくじらか?

これだけうめえモン持って来るってこたァ、どうせまたアブねえ話しろってんだろ?

あ?

吉宗公と紀州領だ?

ダメだダメだ。

そんなこと話したら奉行所しょっ引かれて打ち首だ。違う話にしてくれ。

あん?どうしても聴きてえだ?

あのな里菜サン、剣菱持って来ようとくじら持って来ようと…って、そりゃ里菜サン、うなぎじゃねえか。うなぎまで持って来たのかよ!?

じゃあしょうがねえな。

おい左平治、おめえちょっとゆかサンと表見張ってろ。

里菜サンが聴きてえのは、何で綱吉公が館林領返上で家宣公が甲府領返上なのに吉宗公は紀州領を返上しなくてもいいのかってこったろ?

ありゃあな、吉宗公と御老中との間の駆け引きよ。

本来なら里菜サンの言う通り、将軍家に養子に入る場合は自領は幕府に返上だ。

でもよ里菜サン、吉宗公はどうしても仲良しの従兄弟の儀大夫様(松平頼致)に紀州領を譲ってやりたかった。儀大夫様に紀州領を譲ったうえで将軍になりたかったのよ。

そこで御老中と駆け引きよ。

吉宗公の八代将軍については筆頭御老中の土屋相模守様(土屋政直)との間でほぼ決まりだったんだがな、正式に首を縦に振らなかった。

吉宗公は相模守様の出した条件、側用人制度の廃止と「甲府ぐるーぷ」の一掃は飲んだんだがな、それでも「八代様は水戸の綱條公でも良いのではないか」って言って将軍になるって返事しねえんだ。相模守様としては自分たちの一番飲んでほしい条件を飲んでくれたお方に将軍になってもらいてえんだが、吉宗公が「将軍になる」って言わねえんだ。

里菜サン、吉宗公が将軍になんねえと、八代将軍は尾張の継友公になっちまう。尾張は「甲府ぐるーぷ」とベッタベタだからな。側用人制度が続いて「甲府ぐるーぷ」がこれまで同様好き勝手し続ける。相模守様たち御老中はこれじゃ困るんだ。

「将軍になる」って言ってくれねえモンだから、相模守様は「何か不満や不服がおありならおっしゃって下さい」って真意を尋ねた。

ここだ里菜サン。ここで吉宗公は畳み掛けるんだ。

吉宗公は「かつて綱吉公は館林領を、家宣公は甲府領を返上して将軍職に就いたが、ワシも紀州領を返上せねばならぬのか?」って相模守様に問うたんだ。相模守様は初め「先例に従い、そのようにしていただきます」って答えた。そしたら吉宗公は「御三家の身分と領地は権現様から与えられたもの。それを館林や甲府と同列に扱うのか」って言い返した。

相模守様は権現様の御名前が出たモンだから慌てて「いやいや、権現様から賜った身分・領地を返上などとは滅相もないこと」って紀州領返上に及ばずと答えた。

で、ここでとどめだ里菜サン。吉宗公は「ワシが江戸城に入ったら、紀州領は従兄弟の松平儀大夫に譲りたい」って相模守様に持ちかけた。儀大夫様にも紀州藩祖・頼宣公の血が入ってる。紀州藩主になっても何の問題も無え。

相模守様は吉宗公に「紀州領は返上に及ばず。後任の藩主は儀大夫様で異議無し」って返事してな。そンで吉宗公も「それなら八代将軍を引き受ける」ってなった。

家継将軍が薨去されると、吉宗公が和歌山から江戸城にお入りなすった。約束通り側用人制度は廃止。間部越前守様(間部詮房)は上野高崎から越後村上に国替え、新井のオッサン(新井白石)は役宅から追っ払われた。相模守様も約束通り儀大夫様を紀州藩主にした。儀大夫様の後任の西条藩主には儀大夫様の弟の万吉様(松平頼渡)がおなりなすった。儀大夫様は吉宗公から偏諱を賜り松平頼致から徳川宗直と名を改めた。

吉宗公は将軍に就任し、仲良しの従兄弟に紀州藩を譲ることが出来た。

ま、これでめでたしめでたしだな。

へえ、里菜サンの時代の「かりぃ」はもっと茶色くて肉がごろんごろん入ってるのか。

ま、今日はゆかサンの「印度かりぃ」を食ってみてくれよ。

里菜サンの時代の「かりぃ」、オレも一度食ってみてえな。

里菜サン、また。