【2008年5月12日】
細川重賢の『宝暦の改革』を支えたのが堀 勝名という男で、用人→大奉行→中老→家老と出世した。
堀 勝名は藩校・時習館を設立した。
再春館は重賢の意向が色濃く反映されたものだったが、時習館は勝名の意向が色濃く反映された。
勝名は教育の重要性を理解していた。
「師は国の大工殿。木造りは人造り、木配りは人配りなり」
この理念のもと、時習館では武士階級の身分以外の者でも入学して学ぶことが出来た。
「木造り」は「気造り」、「木配り」は「気配り」に通じる。
「杉には杉の用があり、桧には桧の用がある」なんて言葉があるが、「師」という先生が一人一人の個性を見て「杉になるか、桧になるか」を見定めて育てるのが「木造り」だ。
だから、「木造りは人造り」なのだ。
「木配りは人配り」とは「適材適所」のことで、「木配り」は「気配り」に通じる。
人を育てて社会に出す。
このことを勝名は家造りに喩えたのだ。
面白いと思った。
「木造りは人造り」、「木配りは人配り」
これは今の時代にも通用する考え方だとオレは思う。