もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

熊本城

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【2010年1月25日】

家紋の種類に「九曜紋」というのがある。

この「九曜紋」を家紋にしていたのが細川家と板倉家だ。

「細川九曜」は丸のマークを9つ使い、「板倉九曜」は巴のマークを9つ使うのが特徴だ。

細川家は肥後熊本54万石、板倉家は遠江相良1万5千石。大身の国持大名とごく普通の譜代大名だ。細川家の当主は細川宗孝、板倉家の当主は板倉勝清だった。

板倉家には6,000石の分家があった。この分家の当主が板倉勝該という人で、勝該は

情緒不安定

だった。

曇りがちの日や雨雲がどんよりと垂れ込めている日には、何かぶつくさと独り言を喋りながら江戸の街をふらついた。

時々、奇声を発することもあった。

とても6,000石の旗本とは思えない奇行ぶりで、板倉勝清は勝該のことを

「あの者、家を治むるに能わず」

と周囲に漏らした。

勝該には子が無く、勝清は自分の子供を勝該の養子とし勝該をさっさと隠居させようと思った。

勝清がその計画を進めている最中に計画が勝該に洩れた。

勝該に洩れた際、実際の計画とちょっと違う話になって勝該の耳に入った。これが後に細川宗孝を斬殺するきっかけになる。

勝該の耳には

「御本家は、修理どのを殺害するおつもりらしい」

と伝わった。

自分に奇行が多いのはわかっている。

でもどうしても曇り空の日に江戸の街をふらついたり、ぼんやりと遠くを眺め続けることがやめられない。

「隠居させられるならまだしも、いのちを奪われるなんて…」

思い詰めた勝該は意を決した。「殺される前に、殺してしまえ!」と。

延享4年8月15日。この日、厠に行くと用を足している者が目に入った。衣服には「九曜紋」が入っている。

「おのれ勝清!」

勝該の太刀はその者を肩から背中にかけて袈裟掛けに斬った。

斬った相手が倒れた瞬間、勝該はその場にへたり込んだ。

板倉勝清では無い。

別人を斬殺したのだ。

「ヒィッ」と悲鳴をあげると、勝清はブルブル震えながら意味不明の独り言を言い始めた。

身柄を拘束されても、勝該の震えと独り言は収まらない。

取り調べに対し勝該は

「細川九曜と板倉九曜を見間違えた」

とブルブル震えながら供述した。

斬殺されたのは細川宗孝。人違いで殺害されたのだ。

板倉勝該切腹

細川家ではこの事件のあと、家紋のデザインを変えた。