おい左平次!あの朝っぱらから鍋カンカン鳴らすのやめさせろ!
うるさくって寝られやしねえや!
左平次、おめえからアリサに言ってやれ!油揚げ食いたきゃぷろいせん帰えっててめえの国で豆腐屋作りやがれってな!
朝っぱらから鍋カンカン鳴らして「アブラゲ、アブラゲ」って大声出しやがって。昨日こさえた鶏のつくねと油揚げの炊き合わせがあったろ?アレ持たせてやれや。
おい左平次、鍋いっぱいに持たせとけ。そしたら当分あのトンチキお姫様はここにゃあ来ねえからよ。
ああ、里菜サン。気付かねえで済まねえ。何せあのぷろいせんの油揚げお姫さんが「油揚げよこせ」って朝っぱらから鍋カンカン鳴らしやがるからよ。
で、今日はどこのハラキリお大名の話をすりゃあいいんだい?
って里菜サン、その紙に書いてあんのは真っ黒い装束の悪魔とお天道様とお月様って…そいつァ里菜サン、大眼宗の絵じゃねえか。
ったく、どこでそんなモン手に入れんだよ?そんなアブねえモン持って来やがって。オレが奉行所しょっぴかれちまうじゃねえかよ。
本当は大眼宗なんて話したら打ち首にされちまうけど、ん?里菜サン、そのすいーとぽてとと一緒に置いてあんのは剣菱かい?
そうか、剣菱持って来たのか。
わかったよ里菜サン。
おい左平次、今日は里菜サンにあの話するから、おめえ人が来ねえように表見張ってろ。
里菜サンが聴きてえってのは「大眼宗って何?」ってこったろう?
あれァな、里菜サンの時代の「かると宗教」ってヤツだな。イカレポンチの宗教だった。
その教祖様が巌中ってインチキ坊主だった。巌中は「がんちゅう」って読む。里菜サン、覚えといてくんな。そのインチキ坊主の巌中はもとは後藤寿庵ってえ名前の仙台藩士だった。どうだ里菜サン、寿庵って名前からしてインチキくせえだろう?こいつの本名は誰も知らねえんだがな、仙台藩にはこういうのが何人かいるにはいたんだ。里菜サン、陸奥中納言様(伊達政宗)はいっときイスパニア(スペイン)だかポルトガルだかの娘っ子を側室にしてた。まあ髪の毛真っ金金で瞳が青いんだ。で、背丈がオレたち日本人より高くって乳も日本人のおなごより大っきいのよ。里菜サンの時代でいう「巨乳」ってヤツだな。南蛮国からの側室だから、信じてるのはキリシタンだ。仙台藩士に寿庵(ジュアン)なんてインチキくせえ名前のがいるのもそのせいだな。
その後藤寿庵のヤツが、出羽横手の伊達左門様(伊達宣宗)に「私の領内の百姓が数人、あなたの領地に欠け落ち(逃散)したんで、捕らえて下さい」って手紙書いて寄越した。逃散は御法度だ。捕らえて後藤のヤツに返さなきゃなんねえ。左門様は稲庭地域に隠れてた仙台藩領民らしいのを数人見つけて一部を斬って残りを後藤のヤツに引き渡した。
ま、単に逃散したお百姓を引き渡した話だったら話はそこで終いだがな、里菜サン、こンだァ後藤寿庵そのものが仙台藩から欠け落ちしちまうんだ。ま、仙台藩は大坂の陣のあとキリシタン禁教になっちまったし、中納言様もキンパツボインの側室を家臣に下げ渡しちまったからな。
寿庵のヤツはキリシタンってことで仙台藩に居づらくなった。かと言って、改宗して信じる神を捨てることも出来ねえ。寿庵のヤツははじめは頭を剃って巌中って名乗って表向き仏教に改宗したように見せかけた。そうしねえと藩の役人にとっ捕まって殺されちまう。でもよ里菜サン、キリシタンの連中は信じる神様を捨てられねえんだ。そこで寿庵、いや、巌中のヤツは「秋田の横手がユルいから、横手に逃げよう」って思った。横手の稲庭はかつててめえの領地のお百姓が逃散した場所だからな。
横手に来た巌中のヤツは大眼宗ってインチキ宗教をやり始めた。神仏を否定してお天道様(太陽)とお月様を拝むんだ。で、悪魔と交わって奇蹟を起こす。インチキくせえんじゃなくてインチキそのものだ。
このインチキ宗教が横手で流行った。里菜サン、主に鉱山で働く連中やお百姓の間で流行ったんだ。要はキツい仕事の連中がこのインチキ宗教の信者になった。インチキの極めつけがな里菜サン、巌中のヤツが稲庭の小泉村のお百姓の後家と夫婦になって還俗したのよ。名前も巌中から七左衛門に変えて坊主から教祖様らしくした。
大眼宗の話は横手城代の左門様の耳にも入っていてな、左門様は久保田藩家老の梅津憲忠様に御報告よ。梅津様は巌中のことを知ってたみてえでな、梅津様は「巌中のもとの名は後藤寿庵。後藤は仙台ではキリシタンだった。土台がキリシタンなのじゃ、禁教にせよ」ってお命じになった。左門様は御家老の命じた通り、大眼宗を禁教にしたんだ。
でもよ里菜サン、大眼宗の信者の連中は一向に棄教しねえ。そりゃそうだ。大眼宗の信者の連中は仕事ばっかキツくって万年貧乏の連中ばっかりだ。もともと佐竹家は常陸水戸50万石。それが関ヶ原でどっち付かずだったから権現様に水戸から久保田(秋田)へ国替えにされちまった。20万5800石。これが久保田での佐竹家の「すたーと」だった。なあ里菜サン、20万5800石のお大名が50万石の頃とおんなじ生活しようとしたら、あとは領民から搾れるだけ搾り取るしかねえだろう?そんなことで横手に限らず幕初の久保田藩はみんな貧しかった。
キツい仕事に、良くならねえ暮らし。
そんなとこにやって来たインチキ宗教。
横手のお百姓や鉱山で働く連中は「どうせ生きてたっていいこと無いんだから」って大眼宗に飛び付いた。藩の家老が禁教にしたって言うことなんざ聞かねえ。
左門様は巌中改め七左衛門を横手城に呼び出して捕縛しようとした。が、大眼宗の信者の連中が横手城下で藩の手勢を返り討ちよ。正規の武士が鉱山夫やお百姓に何人も殺されたんだ。
「まともなやり方じゃ無理だな」左門様はそう思って巌中改め七左衛門に「手荒な真似をして済まなかった。大眼宗が横手で認められるように城で話合おうじゃないか」って手紙書いた。無論、左門様に話合う気なんざサラサラ無えぜ。結局、話合うモンだと思ってもう一度横手城下まで来た巌中改め七左衛門はその場で斬られた。主だった信者もその場で斬られ、斬られなかった信者は家屋・財産没収の処分を受けた。
事の次第の報告を左門様から受けた梅津様は江戸の右京大夫様(佐竹義宣)に「大眼宗教祖、成敗」って御報告したんだがな、右京大夫様は喜ぶどころかカンカンにお怒りになられた。「七左衛門を成敗したのは良いが、信者どもの財産没収とは何事か!」ってな。右京大夫様はもともとあの石田治部少輔(石田三成)と親友だ。石田治部は愛民、右京大夫様も親友に似て愛民だったからな。
信者たちの財産は返却、財産没収を命じた左門様は家名断絶にされた。左門様は家名断絶の7年後に横手に戻って来てな。そンでカミさんと貧しいながらも穏やかな余生を過ごした。
左門様の死後、一人息子の自然丸様が家名再興を許された。この自然丸様がのちの伊達外記様(伊達隆宗)だ。
暮らし向きが苦しいと、おかしなものやインチキに手ェ出しちまう。里菜サン、身の丈越えたゼイタクもいけねえが、ひど過ぎる貧乏もいけねえんだよ。
剣菱、ありがたく頂戴するぜ。
剣菱に合わせるのは芋の煮っ転がしだ。
里菜サン、また。