もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

なめくじ長屋の里菜日記/井伊直該-三年の美学1-

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ああ里菜サン、今日は魚辰でいーいいわしが手に入ったからな。こいつを梅肉と一緒に煮付けたヤツを食っていきな。

そいつだよ、里菜サン。

その棒手振りがこのいわし持って来たんだ。

その棒手振りは恭子っていってな、魚辰ンとこの娘だよ。娘っ子が棒手振りなんてしねえモンだがな、ありゃあエゲレスの遊びで「ごるふ」とかいうのをやるんだよ。何でも棒手振りで腕を鍛えて「どらいばー」とかいう頭でっかちな棒っ切れで球ァ打つと遠くまで球ァ飛ぶんだとよ。

あんまし腕の太い娘っ子も何だかアレなんだが、魚辰の旦那がそれでいいって言ってんだから、ま、いいんじゃねえのか。

ん?

里菜サン、今日のすいーとぽてとは色がちょいと変だな。何だか茶色いぜ?

へ?

このすいーとぽてとにゃあかんぼちゃが練り込んであんのか?

ああ、そうか。里菜サンにかんぼちゃなんて言ってもわかんねえわな。

里菜サンの時代にかぼちゃって呼ばれてるアレのこった。オレたちの時代じゃ初めに大炊頭様(土井利勝)がかんぼちゃ食ったんだけどな、生で齧ったもんだから「苦くて不味い」って言って江戸じゃ流行らなかった。で、大炊頭様が亡くなられたずっとあとに上方でかんぼちゃ甘く煮付けたのが「ウマい」って流行ってな。それが江戸でも食べるようになった。

かんぼちゃは里菜サンの時代じゃかぼちゃだが、オレたちの時代じゃ上方ではなんきん、江戸では唐茄子って呼んだんだ。

今日はどこのハラキリお大名の話をすりゃあいいんだい里菜サン?

何!?

掃部頭様(井伊直該)だ?

あのな里菜サン、オレァ何度となく里菜サンにゃあ言ってきたが、オレたちの時代は里菜サンの時代と違ってもの言う自由ってのが無えんだ。あんなお方のことをベラベラ喋ったら奉行所にしょっぴかれちまうんだ。

でもまあその唐茄子すいーとぽてと食っちまったからなあ。

おい左平次、これから直該様の話すっから、おめえ表出て人が来ねえように見張ってろ。

掃部頭様は里菜サンも知っての通り彦根藩主だ。藩主になりたての頃は性格キツくて家臣にツラくあたるようなこともあったんだがな、歳とともに穏やかで優しいお方になられた。

はい、以上。

掃部頭様のおはなしこれでおしまい。

そのいわし食ったらまっつぐ帰えるんだぜ里菜サン。

って、痛ててて…何だよ里菜サン。そんな耳つねんなよ。だってオレァちゃんと掃部頭様の話したじゃねえかよ!?

へ?

「あたしが聴きたいのは何で直該さんは二度大老職をやったのってことなのよ」だって!?

確かに掃部頭様は二度大老職やってるな。里菜サン、よくご存知で。

そんな話、里菜サンみてえな若いお嬢さんは知りたがらねえんだけどな。

ま、いいや。

じゃ、聴いてくんな里菜サン。

掃部頭様が最初に大老職に就いたのが元禄10年の6月13日のことよ。

幕府が大老職を置くときは大抵が幕府の中を安定させてえってときで、前の年の元禄9年に勘定奉行の荻原のオッサン(荻原重秀)が貨幣鋳潰してインチキ小判をたくさんこさえた。元禄小判のこった。インチキ小判で世の中大騒ぎなモンだから、綱吉公は大老職置いて落ち着かせようとしたんだ。そンで掃部頭様の出番になったってワケよ。綱吉公も将軍になりたての頃は筑前守様(堀田正俊)を大老職にしたんだがな、ソリが合わねえってんで稲葉ナントカ(稲葉正休)って譜代大名けしかけて御城(江戸城)で刺し殺した。その後しばらく大老職は置かなかったんだがな、インチキ小判で世の中騒がしくなってきやがったから綱吉公は大老職置いたんだ。大老職置くと譜代大名や旗本がおとなしくなるからな。

その翌年だ里菜サン。元禄11年の7月21日だな。美濃守様(柳沢吉保)が大老格の側用人になられた。大老職は井伊か酒井のどっちかじゃねえとなれねえから、あくまで「大老格」なんだがな。で、美濃守様の大老格としての初仕事が英 一蝶島流しよ。英 一蝶は「はなぶさいっちょう」って読む。里菜サン、覚えといてくんな。

この英センセイは絵描きなんだがな、英センセイは里菜サンの時代でいう「かりかちゅあ」を書いてメシ食ってた。ま、オレたちの時代に「かりかちゅあ」が商売として成り立たねえのは里菜サンも気付いてる通りだ。お上に睨まれちまうからな。その英センセイ、やっちまったんだよ。何が?って、里菜サン、英センセイはお伝の方の「かりかちゅあ」を書いちまった。お伝の方は綱吉公お気に入りの側室だぜ。しかもお伝の方は亡き徳松様(綱吉将軍の長男)のご生母だ。

綱吉公は怒り狂ってな。美濃守様に「あの絵描きの首取って来い」ってな。まあでもこいつはどこまで行っても「かりかちゅあ」で謀反じゃねえからな。そンで美濃守様も謀反じゃねえから死刑に出来ねえってんで英センセイを三宅島に島流しにした。これが美濃守様の大老格としての初仕事だった。これを見て掃部頭様はゾッとした。掃部頭様は頭ン中にかつて御城で刺し殺された筑前守様が思い浮かんだ。もし、何かあって綱吉公とソリが合わなくなったら次に消されるのはてめえなんじゃねえかってな。

英センセイは絵描きだからいのちまでは取られねえが、幕府の大老職となったら話は違うぜ里菜サン。

ま、そんなことで掃部頭様は辞職の「たいみんぐ」を図ってたんだがな、掃部頭様は「石の上にも三年」って言葉が好きだった。だから掃部頭様は「何があっても三年は大老職を続けよう。ただし、三年経ったらさっさと辞める」って心に決めてた。

美濃守様はその後も与えられた仕事をきっちりこなしてだんだん大きな存在になっていった。それを見ていて掃部頭様は「早いとこ辞職して彦根に帰ろう」って思ったのよ。で、元禄13年だ。ありゃあ確か3月の2日だな。掃部頭様は綱吉公に「いやあ、最近病気がちになっちゃいまして。国許(彦根)帰って養生します」って言って辞職した。長々と大老職に留まって筑前守様みてえになんのは御免だからな。

掃部頭様が辞職して、すぐに生類憐れみの令がキツくなった。それまでうなぎとどじょうは対象外だったんだがな、綱吉公にいい顔してえ美濃守様がうなぎとどじょうも取り締まりの対象にしやがった。掃部頭様が辞職して抑えが利かなくなったんだ。里菜サン、美濃守様はオレたちからうなぎ取り上げちまったんだぜ。ひでえと思わねえかい?

ま、掃部頭様は大老職辞して危ねえことにはならねえで済んだ。済んだんだが、このあともう一度掃部頭様は大老職を務めることになる。

そいつはまた次だ。

かんぼちゃすいーとぽてと、ウマかったぜ。

次は綱吉公から家宣公に代替わりしたあとの話だ。

里菜サン、また。