もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

なめくじ長屋の里菜日記/本能寺-頼 山陽と『日本楽府』-

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おい左平次、ありゃあ小石川(水戸藩上屋敷)の女中の里紗じゃねえか。何でまたあいつ、里菜サンと一緒にいるんだ?

ありゃあいっつも台所のメシつまみ食いしてこっぴどく怒られるんだよな。

あ、左平次、二人ともこっち来るぞ。左平次、里紗が来たら昨日こさえたねぎま鍋持たせてやれや。

ん?

里菜サン、そいつァいい色艶の〆さばだ。今日はすいーとぽてとじゃなくて〆さばかい。

で、剣菱も一緒ってこたァ、今日はどんなアブねえ話すりゃあいいんだい?

何でえ里菜サン、こりゃまたずいぶん達筆なお方が書いた漢詩だなあ。

へ?

こいつァ里菜サンが書いたのか?へぇ、大したモンだ。

今日はこれを解釈してくれって?

どれどれ、じゃ、剣菱ありがたく飲みながら解釈してやらあ。

本能寺。溝幾尺。

吾就大事在今夕。

茭粽在手併茭食。

四簷楳雨天如墨。

老阪西去備中道。

揚鞭東指天猶早。

吾敵正在本能寺。

敵在備中汝能備。

里菜サン、こいつァ山陽先生(頼 山陽)の「本能寺」じゃねえか。

里菜サン、若けえのに大したモンだな。

わかった。

オレも山陽先生大好きだからな。解釈してやらあ。

でもよ里菜サン、オレたちの時代は明智のオッサンは主殺しの大罪人で扱われてるから、人に聞かれると奉行所しょっぴかれちまう。

おい左平次、おめえちょっと里紗と二人して表見張ってろ。

里菜サン、そいつァな、山陽先生の『日本楽府(にほんがふ)』の中に収められてる詩だ。

山陽先生は日本国の六十六の人物や出来事を楽府詩(がふし)にしたんだ。その詩集が『日本楽府』だ里菜サン。

里菜サンが書き写してきたその「本能寺」は六十一個目の楽府詩だ。

楽府詩ってのは清国で昔あった詩の型の一つでな、音楽に合わせて詠む詩のこった。音楽に合わすから一行の文字数は不定型だ。

里菜サン、オレたちの時代は漢詩を詠めるのが「知識人」「文化人」「いんてり」だったんだ。だから山陽先生もわざわざ漢詩にしたんだ。

じゃ、解釈するぜ。

本能寺。溝幾尺。

「本能寺。溝は幾尺ぞ。」

本能寺。あの寺の濠はどのくらいの深さだろう。

って意味だ。

里菜サン、本能寺ってのはお寺らしからぬお寺でな。濠がめぐらしてあった。里菜サンが「いめーじ」するお寺とはちょいと違うんだ。そんなお寺だったから信長公も安心して宿所にしたんだろうな。

吾就大事在今夕。

「吾が大事を就すは今夕に在り。」

今宵こそ生涯の賭け。

里菜サン、山陽先生もなかなか「どらまちっく」な表現使うじゃねえか。たった七文字で明智のオッサンの胸の内書いちまうんだぜ?

明智のオッサンは本能寺を襲うのが「吾が大事」なんだからな。上手くいきゃあ天下人だがしくじったらてめえが死んじまう。

そんな気持ちがこの七文字に込められてる。

茭粽在手併茭食。

「茭粽手に在り茭を併せて食ふ。」

本能寺を襲う前、明智のオッサンは愛宕権現に事の成就を祈願した。

明智のオッサンは心ここに在らずで出されたちまきを葉っぱごと食っちまった。しょうがねえオッサンだ。

それとな里菜サン、明智のオッサンは愛宕権現でおみくじ引いたんだがな、何度引いても大凶出やがるモンだから、明智のオッサン、大吉出るまで何度もしつこくおみくじ引き続けたのよ。だったら謀反なんかやらなきゃ良かったのによ。

四簷楳雨天如墨。

「四簷の楳雨天は墨の如し。」

軒降りこめる梅雨空は墨のように暗い。

ま、これも山陽先生らしいところでな。その先の明智のオッサンの暗い未来を含めて書いた七文字だ。明るい兆しが何一つ無い真っ暗の梅雨空。それはまるで十日後の明智のオッサンみてえだって山陽先生は表現してるんだ里菜サン。

老阪西去備中道。

「老阪は西に去れば備中の道。」

老ノ坂を西に進めば主命奉ずる備中路。

明智のオッサンの丹波亀山城から少し行ったところに、老ノ坂ってえ場所がある。ここを西へ向かうと備中路。もともと明智のオッサンは信長公の御命令で備中にいる秀吉公の援軍に行くはずだった。

揚鞭東指天猶早。

「鞭を揚げて東を指せば天猶早し。」

いな、東へ!鞭揚げて指したのは暗闇の天。

夜中に東の空を鞭で指して備中ではなく京へ向かうよう全軍に下知した明智のオッサン。

東の空を鞭で指す明智のオッサン。里菜サン、明智のオッサンの姿が眼に浮かんでくるじゃねえか。でもよ里菜サン、明智のオッサンが鞭で指した空はやっぱ真っ暗なんだよな。

吾敵正在本能寺。

「吾が敵は正に本能寺に在り。」

我が敵は正に、本能寺に在り!

里菜サン、明智のオッサンはとうとう本能寺を襲うんだ。これが天正10年の6月2日の払暁のこった。

こン時に信長公と死んだ連中の中に毛利新助さんがいた。毛利さんは桶狭間で今川治部大輔(今川義元)の首をもいだお方だ。

信長公は本能寺に火をかけて自害した。享年49。

かつて、桶狭間を襲う前に舞った「敦盛」の「人生五十年」に1年足りなかった。

本能寺は焼け方が激しくてな。それで里菜サン、信長公は爆薬使ったんじゃねえかなんて説もある。もしそうなら、信長公に謀反して茶釜と一緒に爆死した松永弾正(松永久秀)とおんなじ最期だ。

敵在備中汝能備。

「敵は備中に在り汝能く備へよ」

非ず非ず光秀よ、真の敵は備中じゃ。備え怠るな。

里菜サン、最後の一行で山陽先生は「“我が敵は本能寺?”違う違う。あんたの本当の敵は備中にいる秀吉公なんだよ」って詠んだ。

この最後の七文字こそが山陽先生の真骨頂。歴史を見つめ続けた頼 山陽だからこそ詠めた七文字だ里菜サン。

「敵は備中に在り汝能く備へよ」

里菜サン、山陽先生は本能寺の一件を八行五十五文字で「どらまちっく」にまとめた。

これが「本能寺」の解釈だ里菜サン。

山陽先生は聖徳太子から秀吉公の唐入り(朝鮮出兵)までの六十六の人物や出来事を『日本楽府』に収めた。

本当は本多様(本多忠勝)や井伊様(井伊直政)のことなんかも詠んだんだがな、役人に悪意のある奴がいて削除されちまった。だから『日本楽府』は秀吉公が明と朝鮮の使節団の前で手紙を破くところでおしまいだ。

ま、オレたちの時代は里菜サンの時代と違って表現の自由も出版の自由も無かったからな。

本能寺。あの濠の深さは…ふと口を突く胸の内。

一生の大事を前に、心ここに在らずの光秀。

だから出された粽も葉っぱごと食べてしまった。

天には星一つ見えない真っ暗な梅雨空。

老ノ坂にさしかかり、西に向かえば主命奉ずる備中路。だが…

東の空を鞭で指した光秀。

「我が敵は、正に本能寺にあり!」

だが、そう全軍に命じた光秀の本当の敵は備中にいる秀吉なのだ。備え怠るな。

うめえ〆さばだった。

光りものと酒はこの上無え相性だからな。

い~い酒だったぜ。

里菜サン、また。