ん?
左平次、おめえ、れなンとこにみりん頼んだか?
れなが樽転がしてこっちに来るけど、ありゃあしょうゆじゃなくてみりんの樽だろう。
で、後ろにひっ付いてるのが里菜サンだけど、里菜サン、氷抱えてやがるな。
まあいいや。
左平次、あの二人にそば茹でてやんな。
おうれな、みりんのお代は小石川(水戸藩邸)に取り立ててくんな。
でもそのみりん、誰からなんだい?
暑い日続いたから、冷えたみりん飲もうって?
それで里菜サンは氷抱えてたのか。
ああ、こいつァうめえんだぜ里菜サン。
みりんの入った器にカチ割りの氷入れてな、で、グイッと飲むんだ。
里菜サン、そいつはきゅうりの漬け物か。
そいつァいい。
きゅうり食うと涼しくなるからな。
今日はどこのハラキリお大名の…
里菜サン、これはマズいぜ。
その絵は赤穂浪人の吉良邸討ち入りの絵じゃねえか。これはマズいんだ。こいつァ本当に奉行所行きになっちまう。
悪いこと言わねえから、その絵はさっさとしまうんだ。
どうしたれな?
それは麻布の曹渓寺のご住職の手紙じゃねえか。
何何?
この二人に寺坂どのの話をしてほしい。
ああ、ご住職がそう言うんなら、奉行所はこの話すンの知ってるってこったな。
わかった。じゃ、話聴いてってくんな里菜サン。
里菜サン、曹渓寺ってことは寺坂様の話しろってこったろう?
寺坂吉右衛門信行様。
吉右衛門様は赤穂藩の直臣だったが、どういうワケか浅野様(浅野長矩)の命で吉田忠左衛門様の寄騎(配下)にされた。
赤穂藩お取り潰しのあと、寺坂様は吉田様と浪人した。寺坂様は吉田様の寄騎だ。寺坂様は吉田様の身の回りの世話をしながら討ち入りの日が来るのを待った。
長げえこと貧乏しながらついにその日を迎えた。
赤穂浪人は吉良邸に討ち入って吉良のジイさんの首を挙げた。大石様たちは「幕府に自首して筋を通す。あの日、我が殿(浅野長矩)と吉良どのと本当に悪いのはどっちだったのか、綱吉公に御裁下いただこう」って大目付(いまの警視総監)に自首したんだ。
このときの大目付が仙石伯耆守久尚様。1,500石の御旗本よ。
仙石様はすぐに御城(江戸城)に通報、月番老中の稲葉丹後守様(稲葉正往)が上杉の牽制と赤穂浪人の四家お預けをお決めなさった。
で、赤穂浪人を四家に引き渡すときになって、仙石様が「一人足りないぞ」って気付いた。討ち入りの赤穂浪人は47人。でもよ里菜サン、寺坂様がいねえんだ。仙石様が大石様に「大石どの、寺坂吉右衛門とか申す者が見当たりませんが」って尋ねると、大石様は「途中までは一緒だったんですけどねえ。あれは身分が低いんでどっか逃げちゃったんでしょう」ってとぼけなすった。
赤穂浪人の身柄を四家に引き渡したあと、仙石様は月番の丹後守様にありのままを御報告よ。丹後守様は「追手を差し向けてひっ捕らえよ」ってお命じになったんだがな、追手は出さなかった。同じく御老中の土屋相模守様(土屋政直)が「追手は出すな。見逃せ。大石どのに考えあって寺坂某を逃がしたんだろう」っておっしゃられてな。
仙石様はあとで大石様に「大石どの、拙者には本当のことを話してくださらぬか」って頼んでな、そしたら大石様は「寺坂は広島に行かせました」って打ち明けた。広島は浅野の本家。本家には浅野様の弟・大学様(浅野長広)がお預けになってる。里菜サン、寺坂様は広島に行って大学様に「仇討ち成功」を伝える役目を大石様からもらったんだ。
寺坂様が広島から江戸に戻った頃には大石様をはじめとする46人は全員切腹。寺坂様だけ生き残った。
寺坂様は「死にそびれた」って悔やんだ。そンで寺坂様は「自首すりゃあ打ち首でも切腹でもなるだろう」って大目付に自首したのよ。自分一人生き恥をさらすワケにはいかねえってな。
仙石様は「あの事件の裁きは済んでおる。済んだ裁きをまた裁くワケにはいかん」ってな。
「大石どのはおまえに自分たちのことをのちのちまで伝えてほしいって託したのだ。みんな腹を切ったら本当のことが伝わらなくなってしまうから」こう言って仙石様は寺坂様に10両(50万円)渡して放免した。
「みんな腹を切ったら本当のことが伝わらなくなってしまうから」この言葉に寺坂様は救われたんだ。自分一人だけ生き残ってって、寺坂様は自首するまでずっと自分を責め続けてた。でもよ里菜サン、仙石様のこの言葉で寺坂様は救われた。
寺坂様はその後本多家に20年ばかし仕えてな。晩年は麻布山内家(土佐藩山内家の分家)に仕えて83歳の生涯を終えた。
仙石様も大目付として活躍を続けなすった。
里菜サン、人を殺す言葉もあるけど、人を救う言葉もあるんだよ。
思えば相模守様も仙石様も赤穂贔屓だったからなァ。
さ、ざるそばが出来たぜ。
赤穂浪人の12月14日は温ったけえそばだったが、オレたちはざるそばだ。
こいつに冷えたみりんがよく合うんだぜ。
里菜サン、また。