【2008年12月18日】
河合隼之助。
姫路木綿の江戸販売で姫路藩財政を建て直した名家老だ。
この御家老、お菓子好きだった。
このへん、オレに似ている。
それは、どうでもいい。
隼之助は城下の菓子職人を京・江戸・長崎に派遣して技術を学ばせた。
このうち江戸に派遣された伊勢屋の職人が家斉将軍の娘・喜代姫と酒井忠学の結婚祝いに作ったお菓子が大好評になった。
隼之助は「これも商品にすればいい」と伊勢屋に言い、伊勢屋はこのお菓子を
『玉椿』
と名付けて商品化した。
『玉椿』は姫路市内を中心に今も伊勢屋本店から販売されている。
もう一つ、長崎の出島に派遣された職人が油菓子の技術を姫路に持ち帰って来た。
この職人が持ち帰って来た技術を生かして作ったのが
だ。
あれこそ「やめられない、とまらない」のお菓子だよ。
かりんとうが庶民のお菓子になるのはこの時代より後のことだけど、まあ、アレだ。『玉椿』といいかりんとうといい、隼之助はホント、お菓子が大好きだったんだねえ~。
「財政再建の名家老」なんて言うと遠い人に感じちゃうけど、こういう話を聴くと身近に思えるよ。