【2008年12月24日】
「伊吹蕎麦にかくれなければ、辛味大根また此山を極上と定む」
と書き残している。
伊吹蕎麦のことだ。
伊吹蕎麦は伊吹山で栽培している蕎麦のことで、彦根藩はこれを将軍への献上物としていた。
森川はまた蕎麦について
「蕎麦切りといふは、もと信濃国本山宿より出て、普く国々にもてはやされける」
とも書き残している。
蕎麦そのものは奈良時代には日本に伝わったものと見られている。
それを現在のように麺状にして食べるようになったのは江戸時代から。
森川はそれを「信濃国が発祥の地」と言っているのだ。
彦根藩が蕎麦を献上物にしていたことに面白さを感じた。
「西日本はうどん」というイメージがあるからだ。
関東の人間だってすき焼きの〆はうどんすきだし、けんちんうどんは食べてもけんちん蕎麦なんか食べない。
そう考えると、蕎麦とうどんの関係は面白いと思った。
伊吹蕎麦は35万石の蕎麦。
井伊家もさぞ、鼻が高かったことだろう。