もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

鶴ヶ城公園(会津若松城)

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【2012年12月19日】

まだ豊臣政権だった頃のことだ。

陸奥岩出山藩主・伊達政宗が諸大名の前で天正大判を披露したことがあった。

天正大判。

慶長大判に劣らぬ金の含有率で、「きんぴか」そのものだった。

諸大名はその珍しさに天正大判を手にとってまじまじと眺めた。

しかし、会津若松藩家老・直江兼続だけは

銭金は不浄のもので、もののふ(武士)が手にとって扱うものでは無い」

天正大判を扇子で扱った。

この話は直江兼続の武士らしさ、爽やかさを表すものとして好意的に語り継がれているが、そうは見ない者もいた。

豊臣家が滅亡し、江戸幕府も家光将軍の代になった頃、大老職・酒井忠勝と首席老中・松平信綱が酒席で名将・名家宰談義をしていた。酒井忠勝松平信綱は家光将軍から「右の手に讃岐守(酒井忠勝)、左の手に伊豆守(松平信綱)」と言われたほどの信用を得ていた。

信綱が名将・名家宰の名を次々と揚げ、忠勝もほろ酔いで「うん、うん」と頷いていたが、信綱が直江兼続の名前を出すと、ちょっと表情が変わった。

忠勝は信綱に

「伊豆守、直江山城守は、まこと名将・名家宰か?」

と静かに問い返した。

信綱は忠勝の問い返しを意外に思い、「御大老、直江山城守のどこに瑕疵がありまするか?」と聴いた。

忠勝は「そなたも豊太閤存命のみぎり、陸奥どの(伊達政宗)が天正大判を披露した一件を耳にしておろうが」と言った。

信綱が「存じておりまする」と返事をすると、忠勝は

「そなたも銭金の有り難みをイヤというほどわかっておろう。道付けに堤つくり、みな全て銭が無ければ出来ぬことぞ」

と言った。

道付けは道路整備、堤つくりは治水を指す。

江戸時代初期は豊臣政権の年貢率を引き継ぎ「七公三民」だった。しかし、豊臣政権と徳川幕府ではその税の使いみちがまるきり違った。

豊臣政権が豊臣家一軒の贅沢のために税を使ったのに対し、徳川幕府は社会整備のために税を使った。

忠勝は

「伊豆守、勇ましいのは大いに結構だが、銭の大切さがわからぬようでは名将・名家宰とは呼べぬぞ。直江山城守は銭の大切さがわからぬ故、天正大判を『不浄だ』と申したのであろう」

と続けた。

何をやるにも銭が必要なのだ。だから、銭は大切なのだ。忠勝はこう言いたいのだ。

会津一円と天下を治めるのは違うのだ」

政治家・酒井忠勝としての直江兼続評である。