もずの独り言・はてな版ごった煮

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二条城

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【2013年1月8日】

慶長16年3月28日、いえやっサンは二条城で豊臣秀頼と対面した。

対面という体裁をとったが、実際はいえやっサンが秀頼を二条城に呼びつけたものだ。

この対面ははじめ慶長10年に実施する予定だった。

このときはいえやっサンではなく、秀忠将軍と対面させようとした。

また、このときは千姫の父親との対面という体裁をとったが、淀殿が猛反対して実現しなかった。

淀殿

「おかしいではないか。家康・秀忠父子は太閤殿下の家臣だった者。臣下のもとへ秀頼が行くなんて筋が通らぬ」

と言ってこの話を断った。

体裁で配慮して臣従を求めようとして断られたいえやっサンは、何とか秀頼から徳川に会いに行く形式にしなければならないと思っていた。

簒奪した天下ではなくて、禅譲による天下。

武力で豊臣家を倒す露骨な簒奪ではなくて、禅譲による権力の移行をいえやっサンは望んでいた。簒奪ではいえやっサンが常々口にしていた「道義立国」にはならないからだ。

この時期のいえやっサンは秀頼に大坂城から出てもらうが、よその国で65万石の大名として存続させてもいいと思っていた。

その考え方に変化が生じ始めたのが慶長12年だった。

この年、新築の駿府城に阿波徳島藩主の父・蜂須賀家政がいえやっサンへの挨拶に訪れた。

蜂須賀家政は隠居の身なので身軽に動ける。家政は駿府城へ挨拶に行く前、大坂城に行って秀頼に挨拶した。

このとき、大野治長

「蜂須賀どのは太閤殿下の厚恩を受けたお方。殿下の御恩を忘れずに、秀頼君のことお頼み申します」

と言った。

家政は「何言ってるんだ、こいつは」と不快になった。

家政の父はあの蜂須賀小六だ。秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃から支え続けたにもかかわらず、秀吉は小六に阿波一国・17万石しか与えなかった。ついでに書くと、あの黒田官兵衛豊前中津12万石しか与えられていない。

不快な気持ちを抑えられない家政は駿府でいえやっサンに

大野治長はそれがしに『太閤殿下の御恩を忘れるな』と言いましてござりまする」

と、そのまんま告げ口した。

いえやっサンは

関ヶ原の際、ワシは『秀頼は無関係、大坂65万石は安堵』としたのに、大野修理は何様のつもりなのじゃ」

と怒った。

いえやっサンは家政に対して遠回しに「大野修理がそういう考えなら、こちらにだって考えがあるぞ」と言ったのだ。

このときからいえやっサンの頭の中に武力による豊臣討伐が選択肢に加わった。

また、この年あたりから京都で流行り出した歌がいえやっサンの豊臣討伐への考えを強めさせた。

京都では

御所柿

ひとり熟して

落ちにけり

木の下に居て

拾ふ秀頼

という歌が流行っていた。

御所柿(いえやっサン)は老齢だから自然に木からポトリと落ちる(死ぬ)だろう。だから放っといても秀頼の天下になる。

こんな歌が京都で流行っていたのだ。

人生五十年時代。

いえやっサンはこの歌のことを知って焦りを強くした。

この頃からいえやっサンは表向きでも水面下でも豊臣家への圧力を強めた。また、自身の健康管理をこれまで以上にしっかりやるようになった。

慶長16年3月。

いえやっサンは本多正信織田有楽斎織田長益)に

「ワシ自身が京に入る。秀頼と二条城で会えるよう、そちたちで謀れ」

と命じた。

正信が二条城での対面実行の責任者となり、有楽斎が豊臣家との連絡役を務めた。

いえやっサンは正信に

「豊臣を武力討伐するかどうか、それは秀頼と対面して決める」

と告げた。

いえやっサンの入京は、秀頼を江戸や駿府に呼びつけても応じないだろうが大坂では本来の対面の意味が無くなってしまうのが一つと、もう一つは京都の民衆に「ワシはこれだけ元気じゃ。御所柿は木から落ちぬ」と見せておくためだった。

淀殿は、最後まで反対した。

が、これを断ると本当に危ないと織田有楽斎加藤清正から説得され、淀殿は渋々秀頼の二条城行きを認めた。

3月28日、いえやっサンと秀頼は対面した。

いえやっサンは挨拶のときだけ上座に座ったが、挨拶が済むとすぐさま上座から降りて笑顔で秀頼の両手を取った。上座からすぐ降りることで、同席の清正たち豊臣恩顧の大名に配慮したのだ。

あとは和やかな酒宴になったが、いえやっサンは酒宴のあと、正信に

「あんな立派な若者とは思わなんだぞ。正信、腹は決まった。大坂を討つ」

と武力による豊臣討伐を決心したことを告げた。

この対面の3年後、大坂冬の陣が始まる。

この二条城の対面以後、京都で御所柿の流行り歌はピタリと止んだ。

70になっても健康体のいえやっサン。

熟しても落ちない御所柿

健康で長生き。

いえやっサンの人生からは学べることが多いが、一番学ぶ部分があるとすれば、それは健康で長生きということかも知れない。