ああオイ里菜サン、またそれ持って来たのかよ!?
だからさ、オレは酒呑みなんだよ、さ・け・の・み!
そりゃ、里菜サンの時代にその「すいーとぽてと」が人気なのはわかるけどよォ、そんな甘めえモン10個も食っちまったら酒飲めねえだろ。
唐芋(さつまいも)は江戸でも手に入るしきんとんだってオレァ一人で作れらァ。
まあでもせっかく持って来てもらったしな。
で、今日はどこのハラキリお大名の話をすりゃあいいんだい、里菜サン?
河合寸翁。
へえ、今日はハラキリお大名じゃなくて名家老の話ですかい、里菜サン。
寸翁は号だ。本名は道臣ってえんだ。
河合のオッサンは面白えお方でな。
河合のオッサンが家老になったとき姫路藩の借金は73万両(365億円)あった。里菜サンの時代にこんなでっけえ借金あったら一代で返すのは無理だ。それはオレたちの時代も変わらねえ。
でもよ里菜サン、河合のオッサンは一代で73万両きれいさっぱり返済して藩庫に蓄えまで残した。
どうやったんだって?
そこが里菜サン、あのオッサンの面白えところだ。
姫路藩には特産の木綿があった。「玉川晒」だとか「姫玉」だとか呼ばれて評判の木綿だった。で、こいつを売って藩の借金返そうって思った。
でもよ里菜サン、西国の藩はみんな大坂に品物出して売るんだがな、こいつを大坂の商人(あきんど)が安く買い叩いちまう。藩にはうさぎのウンコほどの銭しか残らねえ。
うさぎのウンコじゃ73万両は返せねえ。そこで河合のオッサンは姫路の木綿を江戸で売ることを考えた。だがな、江戸に品物直送して売るにゃあ幕府の許可が必要だ。その許可をもらうためにだ里菜サン、河合のオッサンが面白え策を使うのよ。
あれァ確か文化6年のこった。首席老中の水野出羽守様(水野忠成)にいつものようにたんまり袖の下(賄賂)渡してな。で、そンときだ里菜サン。河合のオッサン、出羽守様に「藩主・酒井忠道の息子・忠学の正室に上様(家斉将軍)の姫君・喜代姫様をお迎えしとうござる」って申し出た。
そりゃ、出羽守様としては大助かりだ。何せ家斉公は認知しただけで55人もガキこさえた。しかもその半分以上が姫君だ。伜ならいいんだ、将軍の息子なら「ぜひ養子に」って申し出る藩はいくらでもある。が、娘っ子となるとお大名はみんな嫌がるんだ。そりゃそうだ、「将軍の娘は嫁しても臣下の礼は取らず」だしな。何より将軍の姫君を迎えるとなると御殿を造んなきゃなんねえ。もちろんその費用は全額藩が負担する。
それでも河合のオッサンは喜代姫様との縁組を申し出た。その縁組と引き換えに「姫路木綿の江戸直送・販売の許可を出してもらいたい」って掛け合った。どうだい里菜サン、河合のオッサン面白えだろう?河合のオッサンはな、「縁組は一回こっきりだが、木綿商売はずっと続く。長い眼で見りゃずっとお得だ」って考えたのよ。
喜代姫様縁組で出羽守様は大喜びで姫路木綿の江戸直送・販売の許可を出した。河合のオッサンは大坂にさっさと見切りをつけて江戸での商売に軸足を置いた。江戸に直送された「玉川晒」も「姫玉」も面白えように売れた。江戸や関東だけじゃねえぜ。仙台・新庄・山形・久保田(秋田)、みんな姫路木綿を欲しがった。関東以北で木綿って言やあ姫路木綿。里菜サン、全ては河合のオッサンの考え通りになったのよ。
出羽守様から江戸直送の許可もらってから20年。20年で姫路藩は借金73万両をきれいさっぱり返済して藩庫に蓄えまで残した。こいつァ木綿だけじゃ返せねえ。河合のオッサンの知恵と木綿が結び付いてのこった。
ま、名家老・河合寸翁、お見事ってえトコだな。
河合のオッサンは武士にしちゃ珍しく甘党でな、喜代姫様縁組のお祝いに姫路の菓子屋・伊勢屋に玉椿ってえ菓子つくらせた。こいつァ里菜サンの時代にも残ってる銘菓だぜ。
オレァ河合のオッサンと違って甘党じゃねえが、でもこの「すいーとぽてと」は好きだぜ。
ま、10個も食っちまったから、今日はもう酒飲めねえな。
里菜サン、また。