もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

2019-12-07から1日間の記事一覧

なめくじ長屋の里菜日記/横山長知

いつも里菜サンにはすいーとぽてともらってばっかだからな。 今日は唐芋(さつまいも)できんとん作ってやるよ。里菜サンの時代と違ってオレたちは砂糖を手に入れらんねえが、唐芋そのものの甘さでうめえきんとんが出来るんだ。 また里菜サン、箱いっぱいの…

なめくじ長屋の里菜日記/本多政重-加賀藩家老として-

おっ! 左平次のヤツ、い~いいわし買って来たじゃねえか。ま、さすがは魚辰だな。 こんなでっぷり太ったいわしは梅干しと煮付けるに限らあな。刺身より煮付けだ。 じゃ、こいつを肴に金沢の地酒をいただくか。 こんだけたくさんいわしがあるんだ。里菜サン…

なめくじ長屋の里菜日記/本多政重-出自-

金沢からうめえ地酒が届いたって水戸のジイサン、この一升瓶を弥七のヤツに持たせてよこした。 こりゃもう、魚で合わせるしか無えな。 おい左平次、おめえちょっくら魚辰行ってな、さばでもあじでもいわしでも構わねえから、青いのちょっと買って来い。 里菜…

なめくじ長屋の里菜日記/大野丸

里菜サンは、よっぽどその「すいーとぽてと」が好きなんだな。 こないだ水戸のジイサンが葡萄酒(ワイン)くれたからそれと合わせてみたんだが、そしたらウマかったな。まだ葡萄酒残ってっから、今日の「すいーとぽてと」はありがたく頂戴するぜ里菜サン。 …

なめくじ長屋の里菜日記/小田切尚足と村上舎喜

また里菜サンそんなに持って来たのかよ!? 確かにその「すいーとぽてと」はうめえんだがよ、そいつ食っちまうと酒飲めなくなっちまうんだよ。しょうがねえなあ。 へ? 長屋の表にヘンテコな女の子が突っ立ってるって? ああ、ありゃあ気にしねえでくれ。 あ…

なめくじ長屋の里菜日記/河合寸翁

ああオイ里菜サン、またそれ持って来たのかよ!? だからさ、オレは酒呑みなんだよ、さ・け・の・み! そりゃ、里菜サンの時代にその「すいーとぽてと」が人気なのはわかるけどよォ、そんな甘めえモン10個も食っちまったら酒飲めねえだろ。 唐芋(さつまい…

二条城

【2013年1月8日】 慶長16年3月28日、いえやっサンは二条城で豊臣秀頼と対面した。 対面という体裁をとったが、実際はいえやっサンが秀頼を二条城に呼びつけたものだ。 この対面ははじめ慶長10年に実施する予定だった。 このときはいえやっサン…

鶴ヶ城公園(会津若松城)

【2013年1月8日】 明治10年4月14日。 陸軍中佐兼征討軍参謀・山川 浩は薩摩軍の包囲を突破して熊本城に入城した。 「敵の囲みから城に入るのは、これで二度目か」 「二度目か」 二度目という言葉を小さな声で繰り返した山川の胸に、戊辰戦争のこ…

小倉城

【2013年1月9日】 福岡県北九州市小倉北区に安国寺という寺がある。 ここに、伊達宗興という者が葬られている。 伊達東市正宗興。 従五位下の官位を持ち、陸奥一関藩嗣子という立場だった彼は、何故一関から遠く離れた小倉に葬られたのだろうか? 伊達…

松江城

【2013年1月10日】 松江藩に たたら御三家 というのがある。 たたらとは製鉄所のことで、松江藩では享保11年の出雲鉄方法式の制定で鉄師(製鉄業者)は9家、たたらは10ヶ所、鍛冶場は3軒半と決められた。 その鉄師9家のうち、特に規模の大きい…

松山城

【2013年1月15日☆】 菅谷半之丞政利。 菅谷は「すがのや」と読む。 大石内蔵助とともに吉良邸に討ち入り、伊予松山藩久松松平家にお預けになった男だ。 TVドラマでも映画でも、この男に時間と台詞を割く「忠臣蔵」はまず無いだろう。 が、この男は…

大阪城公園(大坂城)

【2013年1月18日】 「谷山犬の喰逃げ」 これは、鹿児島県谷山地域の方言で、無銭飲食を意味する。 「犬の喰逃げ」は「いんのくれにげ」と読むが、谷山地域では犬が飲食店で無銭飲食するんだろうか? いや、違う。 犬では無い。 やはり、人間だ。 人間…

佐賀城

【2013年1月22日】 鍋島摂津守直恒。 肥前蓮池5万2千石の藩主だ。 蓮池藩は佐賀藩の支藩で、本藩から厳しい支配を受けた。 表向きは独立した大名だが、佐賀ではそういう扱いはされなかった。本藩に厳しく支配される立場だった。 鍋島直恒は15歳で…

鶴ヶ城公園(会津若松城)

【2013年1月22日☆】 享和3年12月23日。 常陸水戸藩部屋住み・松平保友に三男が生まれた。 名をば、松平慶三郎という。「慶ばしい三番目の息子」という意味で慶三郎と名付けられたが、慶三郎にとってちっとも慶ばしくない出来事が発生する。 文化…

松本城

【2013年1月23日】 寛永8年5月28日。 この日、信濃松本藩主・松平康長の屋敷で康長と伊達政宗が難しい顔を突き合わせていた。 この日、駿河大納言・徳川忠長が不行跡を理由に甲府で蟄居を申し付けられた。 おそらく蟄居の次は改易であろう。 松平…

名古屋城

【2013年1月29日】 坂崎 福という女性について書く。 この女性は尾張藩3代藩主・徳川綱誠の側室で、4代藩主・徳川吉通の生母だ。 尾張徳川家では下総の方と呼ばれ、綱誠死去後に本寿院と呼ばれるようになった。 あまり、素行のよろしくない女性だっ…

岡山城

【2013年2月4日】 天明5年10月22日。 備前岡山藩主・池田治政はある盗人の処刑の報せを聞いた。 治政は 「ついにはあの田舎小僧も、年貢の納め時になったか」 と、ちょうど1年前を思い出して感慨に耽った。 ちょうど1年前。 天明4年10月。 …

小倉城

【2013年2月5日】 福岡県北九州市小倉南区湯川。 ここに、開善寺という臨済宗の寺がある。 この開善寺に一人の大名が葬られている。 その大名、名をば 小笠原真方 という。 従五位下備後守、豊前小倉新田初代藩主である。 「小倉新田」というのはちょ…

岡山城

【2013年3月1日】 池田伊予守斉敏。 元の名を、島津久寧という。 薩摩鹿児島藩主・島津斉興の子で、母親は因幡鳥取藩主・池田治道の娘・周子だ。 斉興と周子の間にはもう一人、斉敏の兄にあたる男子が生まれている。その子が、のちに薩摩藩の名君と呼…

舞鶴公園(福岡城)

【2013年3月14日】 「草履方々、木履方々」 これは、黒田官兵衛が臨終の際、息子・長政に草履と下駄(木履)を片方ずつ渡した逸話を指す。 世間一般には 「決断しなければならないときは決断し、決断したならばすぐ行動せよ」 ということを伝えんがた…

無題

寝る前に書くことにタイトルなんか付けない。今日の大河ドラマ『秀吉』「あやつはさしたる兵は持っておらぬ。羽柴軍十数万はそのほとんどが織田信長公の御家来衆に過ぎぬ。それをまとめておるのはあやつの人物の力よ」(本多正信/宍戸 錠)この指摘は正しい…