もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

江戸カレーショップれなりんのちょんまげ日記/徳川家康と伊達政宗―英雄、英雄を識る―


おい左平治、そろそろ例のあの「かりぃ」が届くから、おめえそれに合わせて白まんま炊いとけ。
おっ、来たぜ左平治。
「かりぃ」の出前持ちがよ。



おうれなりん、今日の「かりぃ」はかしわ(鶏肉)がゴロンゴロン入っててウマそうだな。
ん?
左平治、おめえまだ知らなかったのか?
こいつァこないだまでそこの長屋に住んでた下総(いまの千葉県)のしょうゆ屋の娘のれなだ。
印度人のゆかサンが駿河台に店ェ構えるときに人手が欲しいってことでな、そンでこいつが長屋から駿河台に行ったのよ。
駿河台に行ったとき、ゆかサンがこいつを印度人にするって言ってな。そンでこいつァ名前がれなかられなりんに変わったのよ。
ああそうか、左平治は駿河台の「かりぃしょっぷ」のことも知らねえのか。
左平治、駿河台に松平亀太夫って500石取りのバカ旗本がいたろ?いっつも口ポカンって開けてちんちんボリボリ掻いてるあのおバカのこった。
あのバカ旗本がやらかしたんだよ。幕府の狩場に無断で入って御禁制の鶴を火縄でズドンだ。
それだけじゃ無えぜ。その鶴をその場で塩焼きにして食っちまいやがった。で、役人に見つかってお取り潰しだ。
駿河台の屋敷も幕府に接収されたんだがな、あのバカ旗本は誰も雇わなかったから屋敷は旗本屋敷じゃなくてゴミ屋敷だ。そんなとこに住みてえなんてお旗本はいねえから、バカ亀太夫の屋敷は空き家になっちまった。
そこに、水戸のジイサンが「ゆかサンのかりぃの店を出せばいい」って言い出しやがった。ったく、いつもいつもあのジイサンは変わってらあな。「かりぃ」は山の手の連中に大当たりでな。ゆかサン一人じゃ賄いきれなくなっちまった。で、水戸のジイサン、れなに「おまえ、長屋出て駿河台行け」って「かりぃ屋」の賄にしたのよ。
れなは「かりぃ」作る傍らで手ェ空いたときにあのヘンテコな踊りを客の前で踊ったんだ。そしたら左平治、あのヘンテコな踊りがまた人気になってな。ゆかサンの「かりぃ屋」はますます大繁盛だ。
れなの踊りが印度の踊りに似てるってんでゆかサンが水戸のジイサンに頼んでな、れなは日本人から印度人になった。名前もれなかられなりんに変わったってえワケよ。
ま、世の中何が当たるかわかんねえな。



おうれなりん、また手紙と5両か。
水戸のジイサン、今日は何話せって言うんだよ?
ヘ?
権現様と陸奥中納言様(伊達政宗)のことだって?
陸奥中納言様がどのあたりで徳川を支える決心をしたかだって?
そんな話、れなりんが聴いても退屈であくびが出ちまうだろうけど、5両もらっちまってるからな。
退屈かも知んねえけど聴いてってくれや、れなりん。



あれァ慶長20年だ。
ああそうだ。れなりんの言う通り、この年は豊臣がこの世からきれいサッパリ消えた「元和偃武」の年だ。
大坂夏の陣のとき、権現様はどうにかして秀頼母子を助けらんねえかって思ってた。
一つは武力で豊臣潰しちまうと徳川が簒奪者になっちまう。いくら武家の頭領が徳川でも、簒奪は後ろ暗いからな。もう一つは秀頼母子が生きてりゃあ「このいくさは秀頼母子を担いだ悪い牢人をやっつけるためにやった」ってことに出来る。そうすりゃあ恩賞用意しねえで済むからな。
秀頼母子は大坂城の糒蔵に立て籠った。そこに、井伊様(井伊直孝)の軍勢が火縄撃ち込んだ。
こいつがマズかった。
秀頼母子が火縄を自害の催促鉄砲だと思い込んだ。
秀頼母子は糒蔵に火薬撒いて火ィ点けた。
権現様は「オレが直接糒蔵行くから、それまで何もするな」ってお命じになってたんだがな、長年の豊臣に対する腹立ちから火縄撃ち込んじまった。
権現様は燃えさかる糒蔵見ながら「マズいことになった」って頭ァ抱えて困っちまった。井伊様が側で勝ち鬨挙げようとするとジロッと睨んで「てめえはバカか?」って蔑んだ。
れなりん、これでこの日から徳川家は簒奪者だ。秩序を作る側の幕府が汚え簒奪者になっちまった。しかも幕府として大坂攻めの軍勢を動員したんだ。諸大名に恩賞用意しなきゃなんねえ。
秀頼母子が焼け死んだ日の夜、権現様を訪ねたお方がいた。陸奥中納言伊達政宗様だ。
陸奥中納言様は権現様を問い詰めた。「簒奪者が『道義立国』なんて笑わせちゃいけねえ」ってな。権現様は幕府樹立の前から「道義立国」が口癖だったんだ。筋の通らねえ身勝手じゃなくて、筋の通ったきちっとした国にするってな。
さらに中納言様は「こいつァただの簒奪じゃ無えぞ。秀頼母子まで焼き殺したんだぞ」って続けなすった。中納言様は権現様を問い詰めて天下を手放させようとしたのよ。
そしたられなりん、権現様はな、「陸奥どのの言う通り。我等に徳が足りなくてこのありさまになった。徳川の天下より伊達の天下のほうが良かろう。さ、ここでこの首刎ねてくれ」っておっしゃられた。こいつァ開き直りや強がりじゃ無えぜ。何より、その場にあのスゴ腕の柳生但馬守柳生宗矩)がいねえんだ。中納言様が権現様を殺して伊達の天下にしようと思えば出来るんだぜ。
れなりん、権現様はな、一言だけ、眼に涙を浮かべながらな、「陸奥どの、神仏の眼に叶うことは、とても難しいことであったぞ」っておっしゃられた。
陸奥どの、今なら但馬守もおらぬ。さ、この首もいで挙兵されよ」
この一言が中納言様の胸に刺さった。
中納言様はこれまで力で取るのが天下だと思って生きてきた。それが、眼前の74歳の老人に「この首もいで天下を取れ」と言われちまう。中納言様も権現様が生まれてからずっと苦労の連続だったことを知っていなさる。中納言様は問い詰めれば見苦しくボロを出すだろうと思って権現様を訪ねたが、返り討ちにあっちまった。
ここで中納言様は気づいた。「天下は天下のためのもの。誰かの天下では無い」ってな。
中納言様はそれを気づかせてくれた権現様に英雄を見た。中納言様は「大御所、参りました。政宗、天下取りの夢はさらりとここらで捨てまする。以後は幕府と泰平のために尽くしまする」って言いなすった。
れなりん、中納言様の尽力無しに「元和偃武」は実現しなかったんだぜ。
「英雄、英雄を識る」
中納言様はこんな気持ちだったんじゃねえのかな。



うめえ「かりぃ」だった。
また出前頼むぜ。
れなりん、またな。