もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

彦根城

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【2008年7月3日】

安政5年6月19日。

この日、神奈川沖に停泊していたアメリカ船ポーハタン号の船上で日米修好通商条約が締結された。

日本側全権は岩瀬忠震井上清直、アメリカ側全権はタウンゼント・ハリス。

日本側全権は大老井伊直弼の命令でこの不平等条約に調印した。

井伊直弼彦根藩主だ。

井伊が正しかったか?

それとも、「あくまで攘夷」を主張した孝明天皇が正しかったか?

開国するということに限定すれば、井伊のほうが正しい。

が、井伊にせよ当時の幕府上層部にせよ、不平等条約についての理解や研究等が不足していたのではないかと思う。

まず、関税自主権が無いなんていうのは、貿易の「ぼ」の字も知らないんだろうと言われても仕方が無い。

関税自主権を回復出来たのは、明治の終わり頃だ。

次に貨幣の交換比率の問題だ。

当時、日本の金銀の相場は

金1:銀4.65だった。

これに対して欧米列強では

金1:銀15.3だった。

ハリスは「銀基準での交換」を強く求めた。

これはさすがに岩瀬たちも「ダメだ」と言ったのだが、条約締結を急ぐ井伊は「それで飲め」と言った。

これが結局物価の高騰と経済の混乱を招いたが、経済が大混乱する前に井伊は殺害されているのでそのことを知らない。

三つ目は治外法権のことで、明治に入ってからノルマントン号事件が起きてようやく治外法権の恐ろしさが理解されたのだ。

不平等条約の改正。

井伊は次の時代の政府に負の遺産を残した。

井伊直弼は「安政の大獄」をやったために悪評高いが、開国そのものを必要とした判断は正しかったし、その正しい判断を通すために「違勅」という当時の常識では口汚く罵られることもやってのけたことも、リーダーとして勇気ある行動だったと思う。

安政の大獄」のマズかった部分は、死刑者を出したことだ。

死刑にせずに八丈島あたりに流しておけば、幕府はもう少し延命出来たかも知れないし、井伊自身もあんな形で殺害されずに済んだかも知れない。