【2010年4月9日】
人柱。
一般的に「ひとばしら」と読む。
人によっては「じんちゅう」と読む人もいるが、この項では「ひとばしら」と読んで欲しい。
慶長13年、堀尾吉晴は松江城の本丸の石垣と天守閣の土台石垣が完成したのを見て
「ああオレ、ホントに国持大名になったんだなあ」
と満足げにした。
ところが、この石垣が突如崩落してしまう。
「欠陥工事か!」
最初吉晴はそう思って怒った。が、家老の堀尾因幡から事情を聴くと欠陥や手抜きは皆無である。
仕方なく2度目の石垣づくりをする。
完成し、吉晴はまた満足げにした。
ところが、またしても石垣が崩落する。
「何かおかしい。絶対におかしい」
吉晴はそう思った。
いや、吉晴以外の人間でも、きっとそう思うだろう。
吉晴は堀尾因幡に命じて専門家を松江に招いた。
武井四郎兵衛。
築城の専門家だ。
吉晴は
「武井先生、原因を突き止めてくれ」
と泣きそうな顔で四郎兵衛に依頼した。
四郎兵衛は崩落箇所を丁寧に調べた。
四郎兵衛が崩落箇所を2mほど掘り下げたところ、人骨が発見された。
人骨は頭部に槍が突き刺さった状態で発見された。
四郎兵衛の現場調査を手伝っていた堀尾家の人間は
「これは祟りだ。こんなトコに城を築いちゃダメだ」
と気味悪がった。
人骨はねんごろに供養されたが、祟りだとか迷信だとかが幅を利かせていた時代である。堀尾家の家臣たちは安心出来なかった。
ついに堀尾因幡は悪魔の知恵を思いつく。
「人骨が出て来たところに、人柱を埋めればよい。祟りはこれで収まる」
松江で盆踊りが行われていた。
この盆踊りに参加していた若い女性を、堀尾因幡の手の者が誘拐してそのまま人柱にした。
これ以降、石垣が崩れることは無かったが、今度はこの女性の祟りが始まった。
堀尾→京極→松平と女性は3家を祟り続けた。
堀尾忠晴
京極忠高
みな女性に祟られた。
毎晩、寝る前にこの女性の霊が現れて
「わたしこそがこの城の主だ」
と言った。
女性の霊が「この城、この城」と毎晩言うので松平直政は
「では、この魚をそなたに献じよう」
と女性の墓を建て、その墓に宍道湖で穫れたこのしろを供えた。
このしろはこはだのことである。
これ以降、女性の霊は現れなくなった。
直政の機転というべきか。