もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

なめくじ長屋の里菜日記/米子騒動

f:id:Hanzoandmozu:20200102220045j:plain

おう里菜サン、今日も山ほどすいーとぽてとを持って来てくれたんかい?

ま、あれはいーいおやつだからな。

ん?

あの別嬪さん誰って?

あ、いや、あのお嬢さんはな、里菜サンが関り合いを持たなくていいんだ。

あのお嬢さんはな、アリサっていって、ぷろいせんの国王の娘だ。ぷろいせんってえのは里菜サンの時代のドイツのこった。

そのぷろいせんの姫君がな、ふらんきの国王の伜との縁談をイヤだって言ってお国から逃げ出して長崎に来た。ふらんきってえのは里菜サンの時代のオランダのこった。

長崎奉行は困っちまって水戸のジイサンに御報告よ。そしたらジイサン、「江戸で預かる」って言ってな。それでこの近くの長屋にアリサを住まわしたのよ。

里菜サン、今、左平次が冬瓜と油揚げを出汁で炊いてるだろ?まあ見てろ。ほら、アリサが空っぽの鍋持って左平次ンとこ寄って来ただろ?不思議な姫君でな、油揚げが好きなんだとよ。な、里菜サン、アリサは左平次に「アブラゲ、アブラゲ」って言ってるだろ?

でもよ里菜サン、アリサは「アブラゲ」しか日本語話せねえんだよ。困った姫君だぜ。

で、今日はどこのハラキリお大名の話をすりゃあいいんだい里菜サン?

中村伯耆守(中村一忠)様?

ああ、ありゃあトンチキとまでは言えねえが、里菜サンが「いめーじ」するようなバカ殿なのかも知れねえな。

伯耆守様は式部少輔(中村一氏)様の一人息子だ。伯耆守様の生母は池田せんってお方で、せん様は池田勝入斎(池田恒興)様のお嬢さんだ。

式部少輔様は太閤から駿河府中(駿府)14万5千石を与えられててな、太閤も式部少輔様を大事に扱った。ま、カミサンが勝入斎様のお嬢さんだからな。太閤も他の家来より大事にしなきゃなんなかったんだろうぜ。

太閤が薨去すると、中村家でも徳川に付くか石田に付くかでああでも無えこうでも無えって評定が続いたんだ。そこに、家老の横田内膳(横田村詮)さんが「徳川に付くべし!」って強い口調で言い切った。この頃、式部少輔様は病床にいたんだがな、その病床の殿様に横田さんは「殿、病を押してでも徳川どのにお会いなされませ。会って臣従することを言上なさいませ」ってな。ま、アレだ里菜サン、勝つほうに付かねえと明日からメシ食えねえからな。

横田さんの根回しで権現様が駿府に出向いて式部少輔様に会いに行った。その席で式部少輔様は徳川に付くことを約束したんだ。権現様は横田さんの根回しに感謝してな。これが後々の御家騒動のタネになった。

関ヶ原の2ヶ月前のこった。権現様にお会いになったすぐあと、式部少輔様がぽっくり逝っちまった。跡を継いだのが伯耆守様で、まだ11歳だった。11歳ってトコはこないだ里菜サンに話した肥後侍従(加藤忠広)様とおんなじだぜ。

関ヶ原のあと、その年の11月に中村家は駿府14万5千石から伯耆一国・米子17万5千石に加増された。3万石しか増えてねえけど、そこは里菜サン、伯耆一国の国持になれたんだ。中村家の連中も文句なんか言わねえよ。

米子に国替えになるとき、権現様は中村家に「伯耆一国を与えるが、一忠幼少につき、横田内膳に藩の執政(筆頭家老)を任ずる。また、横田内膳には6千石を与えるものとする」ってお命じになった。里菜サン、横田さんは中村家家老から「付家老」になったんだぜ。「付家老」ってえのはのちの御三家と福井藩に幕府から送り込まれた家老のことで、殿様が幕府に楯突かねえように監視と「こんとろーる」をする家老のこった。

横田さんは今までと立場が違う。今度ァ幕府付家老の横田内膳村詮だ。当然、中村家の都合より江戸の顔色見ながら藩政を運営することになる。そりゃ、根っからの中村家家臣から見たら面白くねえわな。その面白くねえって思ってる連中が伯耆守様を担いで横田さんを討つ企みを練ったんだ。

あれァ確か慶長8年の11月だから、中村家が米子に移ってから丁度3年後だな。伯耆守様は横田さんを米子城に呼びつけてな、そこで上意討ちにした。上意討ちを知った横田家の連中は横田さんの弟の主馬さんを大将に米子城下の横田屋敷に立て籠った。伯耆守様も横田屋敷を軍勢で取り囲んだが攻め落とせねえ。城じゃ無えぜ里菜サン、屋敷一つ攻め落とせねえんだ。

攻めあぐねた伯耆守様は隣藩の松江藩に援軍を頼んだ。松江藩主は堀尾帯刀(堀尾吉晴)様で、帯刀様は式部少輔様とは親友の間柄だった。親友の息子の頼みとあっちゃあイヤだとは言えねえ。帯刀様は兵500人を米子に差し向けてな。で、横田屋敷の裏門を打ち壊して屋敷内に乱入して中の連中をことごとく斬り殺したのよ。

権現様はこの騒動を知って怒り頂点だ。「オレの任じた付家老を殺すとは何事か!」ってな。権現様はこンとき米子藩をお取り潰しにしたかったんだが、伯耆守様の正室が秀忠公の養女の浄明院様だったことから秀忠公がお取り潰しを渋ったのよ。しょうが無えから権現様は伯耆守様の側近4人を切腹や斬首にしてお取り潰しにはしなかった。

お取り潰しにゃなんなかったが、横田さん殺害の一件は権現様に恨みを残しちまった。

あれァ慶長14年の5月11日のこった。伯耆守様はハタチで急にぽっくり逝っちまった。

死因は里菜サンのご想像にお任せするぜ。

伯耆守様には梅里とかいう側室との間に一清ってえ男子がいたんだがな、正室の浄明院様がこの一清の中村家相続を頑として認めなかったんで中村家は無嗣収公でお取り潰しだ。

家老は殺す、正室には家の存続を認めてもらえねえ。伯耆守様ご自身がトンチキだってえことを伝えるものは無えんだが、出た結果から見るとバカ殿だったんじゃねえのかなってな。

一番かわいそうなのは米子17万5千石の家臣たちだ。里菜サン、単純計算で3,400人くらいの浪人(失業者)が出るんだぜ。横田さんとも浄明院様とも上手くやってりゃあ中村家は維新まで続いたかも知れねえのにな。

冬瓜と油揚げの炊き合わせはそばのつけ汁にしてもウマいんだ。

そのすいーとぽてとはおやつとしてありがたくいただくぜ。

里菜サン、また。