【2011年6月30日】
「今、あなたから届いた手紙を拝見いたしました。幸せなことです」
「私ども上杉家については様々な噂があるようですが、京と伏見の間でさえ噂が飛び交います。会津のような遠国について噂が流れても不思議じゃありません」
「主君・景勝がなかなか上洛しないことについていろいろと言う人がいるようですが、2年前に会津に転封して間も無く上洛し、去年9月に帰国したばかりですよ。そんなに上洛ばかりして、いつ領国を治めるというんですか?」
「逆意が無いなら誓詞を出せと言われますが、この二年間に何通も差し出してます。それが反故になっているなら、そんな誓詞、出しても無駄でしょう」
「なぜ武具を買い集めているのかという御質問ですが、上方の武士なら茶道具なんかを買い集めるんでしょうが、私どもは田舎武士なので弓・槍・刀に鉄砲を買い集めます。その国々の風俗と思ってもらえませんか?」
これは、「直江状」の一部である。
「簒奪者・徳川家康」に対する宣戦布告文だと言い直してもいい。
いえやっサンは「直江状」を読んでキレた。
「小僧ッ!望み通り叩き潰してやるわ!」
いえやっサンはこう怒鳴って上杉討伐の兵を挙げた。
直江兼続には作戦があった。
まず、白河の南にある革籠原という平野に徳川軍をおびき寄せる。
そして三方から上杉軍が、背後から常陸の佐竹義宣軍が徳川軍に襲いかかり全滅に追い込むというものだった。
全滅に追い込んだあとは上杉・佐竹連合軍が江戸を攻略。そのあとで西日本の親徳川を討つ算段だった。
しかし、この計画通りにはいかなかった。
石田三成が挙兵してしまったのだ。
三成挙兵の報を聞いたいえやっサンは下野小山まで北上させた軍を反転して南へ向かった。
兼続と三成は親友。
だが、このときばかりは兼続は「三成が挙兵してしまった」とマイナスに受け止めざるを得なかった。
「あの簒奪者め。運の良いことよ」
三成の挙兵が無ければ兼続の計算通り徳川軍は革籠原で全滅。豊臣の天下は続き、上杉家がいえやっサンに成り代わり豊臣家の重鎮となったであろう。
夢に終わった革籠原の戦い。
兼続は後年、革籠原で采配を振るう己の姿を目に浮かべながら米沢で田地の開墾に汗を流した。
そこに後悔は無い。
「オレはあの徳川家康と喧嘩が出来た」
その思いを胸に、兼続は農作業に励む。